静まりの時 ガラテヤ4・1~7
日付:2023年05月18日(木)
1 つまり、こういうことです。相続人は、全財産の持ち主なのに、子どもであるうちは奴隷と何も変わらず、
2 父が定めた日までは、後見人や管理人の下にあります。
3 同じように私たちも、子どもであったときには、この世のもろもろの霊の下に奴隷となっていました。
4 しかし時が満ちて、神はご自分の御子を、女から生まれた者、律法の下にある者として遣わされました。
5 それは、律法の下にある者を贖い出すためであり、私たちが子としての身分を受けるためでした。
6 そして、あなたがたが子であるので、神は「アバ、父よ」と叫ぶ御子の御霊を、私たちの心に遣わされました。
7 ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神による相続人です。
(ガラテヤ)
キリスト教信仰に生きるということは、神の子となる、ということであり、神による相続人となる、ということです。
神の子となる、神による相続人となる、といっても私たちの力によってなるのではなく、御子イエスさまによって、神さまによって神の子となる、相続人となる、ということですから、神の子にしていただいた、ということです。
イエスさまを信じて生きる以前、すなわち子どもであった時、未成年であった時は、全財産の持ち主であるにも関わらず、「この世のもろもろの霊の下に奴隷となっていました」。
イエスさまが母マリアより人として生まれてくださったことにより、この奴隷から解放される道が開かれました。まことの神であるお方がまことの人となってくださったことにより、奴隷であった私たちを救う道を開いてくださったのです。私たちはイエスさまによって、子としての身分をいただきました。
この世のもろもろの霊の下に奴隷となっていた私たちは、イエスさまを信じた今、解放されました。もはやこの世のもろもろの霊から自由にされたのです。
この世のもろもろの霊とはいったい何か。そのようなものが存在するのか。聖書はいわゆるオカルト的なことには無頓着ですので、この意味するところは、私たちを縛っている因習や占いということかもしれません。雑誌やテレビ、インターネットで、今日の運勢、というコーナーがあったり、デパートにも占いのコーナーがあったりと、私たちを縛るもろもろの霊はさまざまなところに存在しています。
それらに力があるというのではありません。それに私たちがとらわれてしまうとき、それらは力を発揮するのです。私たちがとらわれなければ、何の力も影響力もありません。
イエスさまを信じたということは、このようなことにとらわれない者にしていただいた、解放され自由にされた、ということです。
そもそも未来を占うということはいったいどういうことでしょう。この先のことが分かる、ということは、この先の道筋が決定されている、ということが前提とされています。もし決定されていないならば、たとえ未来が見えるという人がいてもそれは不確定なものです。ですから、占いが成り立つには、未来が決定されている、ということが前提とされているのです。にもかかわらず、占いによって未来を知ったことにより、その未来を変えようとする、ということはいったいどういうことでしょう。未来は決定されているのか、決定されていないのか。運命は決定されているのか、それとも変えることができるのか、どちらなのでしょう。ここに自己矛盾があると思うのですが。
ただそうはいっても、占いで知らされたことに、とらわれてしまう、という弱さが誰にでもあると思います。しかしそのとらわれから自由にされた。それがキリスト者なのです。
姓名判断、占星術、誕生日占い、方角、血液判断(これは多少面白半分で言われたりしますが)、お墓のデザイン、大安、仏滅、こよみ、鬼門、風水、先祖の祟り、などなど、イエスさまを信じた今、一切のものから自由にされました。ですから例えば霊感商法などということは、とらわれてしまう人間の心理を巧みに利用したものだと思いますが、イエスさまを信じた人においては、まったく成り立たないことになります。
私たちはイエスさまによって神の子としていただきました。それは文字通り「全財産の持ち主」にしていただいたということです。持ち主、ということは、主人にしていただいた、ということです。それは、明日のことを思い煩うことから解放され、今を生きることができるようにしていただいた、ということです。
本部作業。芋の苗を植える予定です。