新しい歌を主に歌え

静まりの時 詩篇98・1~9
日付:2023年03月25日(土)

 賛歌。
1 新しい歌を主に歌え。
 主は 奇しいみわざを行われた。
 主の右の御手 聖なる御腕が
 主に勝利をもたらしたのだ。
(詩篇98・1)

 「主に勝利をもたらした」。主が勝利する。イスラエルの勝利を歌うのではなく、主の勝利を歌います。もちろん具体的にはイスラエルの勝利があるのかもしれません。しかしそれを主が勝利されたと歌うのは、たとえイスラエルが敗北したとしても、それが主の御旨であれば、それも主の勝利である、ということができるでしょう。主が勝利なさる、ということは、私たちの勝利とは必ずしも一致することではないのだと思います。ですから私たちが勝利であっても敗北であっても、そこに主のみこころを発見することができるならば、主の勝利を歌うことができるのだと思います。
 主は、奇すしいみわざ、を行って下さいます。私たちの思いをはるかに超えたことを行って下さいます。神さまの御業であれば、私たちの思いを超えていることは、当然のことかもしれません。そのような御業を、神さまはご自身の右の御手、聖なる御腕によって行って下さいます。私たちは心を静かにして、この神さまにお委ねしながら待ち望んでいればよいのです。
 ですから新しい歌を主に歌いましょう。今まで知らなかったような新しい歌。それは最先端の歌を歌うということだけではなく、歌い古されたような歌であっても、新しく歌う、新鮮な気持ちで歌う、ということでもあるのだと思います。どんなに新しい歌であっても、神さまの御業を期待しないならば、古い歌となってしまうでしょう。
 歌の新しさには、歌う者の心の新しさが大きく関わっているのだと思います。野菜の新鮮さは、それ自体に新鮮さの基準があると思いますが、歌は、歌う者の心が新しければ、その歌に歌う者の心が反映されて、時代的には古い歌であっても活き活きとした新しい歌となるでしょう。

のぞみの書に
「信じるものはあたらしいことばを語る」とある
あたらしいことばにはちからがある
あたらしいことばは世界をひらく
どんなにけがれた心でもそのひとことで清められ
どんな重い病でもただひとことでいやされる
「恐れるな」
わたしはそのことばで生きる

晴佐久昌英、「四福音書」より(『だいじょうぶだよ』、女子パウロ会、2001年)

 今日は備えの日。良い備えの一日を送りましょう。