静まりの時 イザヤ62・1~5
日付:2023年03月24日(金)
1 シオンのために、わたしは黙っていない。
エルサレムのために沈黙はしない。
その義が明るく光を放ち、
その救いが、たいまつのように燃えるまでは。
2 そのとき、国々はあなたの義を、
すべての王があなたの栄光を見る。
・・・
花婿が花嫁を喜ぶように、
あなたの神はあなたを喜ぶ。
(イザヤ62.1,2,5)
「神はあなたを喜ぶ」。人間が神さまを喜ばせる存在となる。
私が誰かの悲しみとなる、苦しみとなると考えると生きることがつらくなりますが、私という存在が、誰かの喜びとなる、ということを考えると、生きる力が湧いてきます。
ましてや神さまを喜ばせることとなる、と聖書は語るのです。どれほどの力が湧いてくることでしょうか。
ただこのためには、神さまが喜んでいてくださることを、私が喜ぶということ。すなわち神さまへの愛があるかないかは大きなことだと思います。神さまを知らない、あるいは神さまを知っていても、神さまを愛してはいない、ということであれば、神さまが喜んでおられる、ということを、私の喜びとすることは、難しいことです。
神さまが喜んでいてくださる。だから今日も喜びをもって生きよう、と生きる力に満たされるためには、神さまを愛する、ということが重要なこととなるのですから、結局信仰生活は、神さまを愛する、ということなのだと思います。日々のデボーションも、主日の礼拝も、神さまを愛するということをしているのです。
神さまが私たちを喜びとしてくださるのは、私たちが何か立派な生き方をしたからではありません。ここで語られているシオン、すなわちイスラエルは、むしろその逆でした。しかしそのようなものを、神さまが一方的な恵みによって「その義が明るく光を放ち、その救いが、たいまつのように燃える」ようにして下さるのです。無に等しいものを愛して下さり、神さまの子としてくださる、ということです。そうして、どんなに神さまが愛していてくださるのか、ということが明らかになる、私たちを神さまが喜んでいてくださることが明らかとなるのです。