勇気を出して

静まりの時 2022年4月16日(土)
マルコ15・42~47

「さて、すでに夕方になっていた。その日は備え日、すなわち安息日の前日であったので、アリマタヤ出身のヨセフは、勇気を出してピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願い出た。ヨセフは有力な議員で、自らも神の国を待ち望んでいた。・・・」

(マルコ15・42,43、新改訳2017)

 イエスさまが十字架に架かられたのは「備え日、すなわち安息日の前日であった」。安息日は土曜日なので、金曜日となります。ユダヤの暦では、一日は日没とともに始まります。金曜日の日没とともに安息日がはじまります。安息日が始まると、遺体を取り下ろし埋葬するということができなくなります。33,34節からおそらく午後3時過ぎに息を引き取られたと想像できますから、日没はまもなくです。今年に当てはめると、イスラエル・エルサレムの昨日の日没は、現地時間で19時9分となっていました。遺体を取り下ろし埋葬するための時間は、多く見積もって約4時間。ピラトの許可を求める時間も必要ですから、タイムリミットは3時間あるかないか、といったところでしょうか。

 このとき「アリマタヤ出身のヨセフ」が、ピラトに遺体の下げ渡しを願い出ます。ピラトは、もう死んだのか、と驚き百人隊長に確認します。はやくしてくれ~、という感じだったでしょうか。ヨセフは許可されるとただちに作業に取り掛かります。亜麻布を購入します。遺体を下ろしその亜麻布で包みます。自分のためにすでに作られていた新しい墓に、イエスさまの遺体を運搬し、埋葬しました。誰かが遺体を盗み出さないためにでしょうか、墓の入り口には石を転がしておきました。そのようすをじっと「マグダラのマリアとヨセの母マリア」が見つめていました。他の福音書には、かつてイエスさまを夜に尋ねたニコデモも埋葬に関わっていたことが記されています。

 こうして葬りが完了しました。使徒信条で「・・・死んで葬られよみにくだり・・・」と私たちはキリスト教信仰を告白します。葬りは、キリスト教信仰において大切なポイントですが、それを実現したのが、このアリマタヤのヨセフでした。ヨセフは大切な奉仕をここで行うことになりました。

「勇気を出してピラトのところに行き・・・」

 ヨセフは、勇気を出してピラトのところに行きました。勇気がなければ行けないことでした。このヨセフとは一体どういう人物でしょう。他の福音書を見てみましょう。

「夕方になり、アリマタヤ出身で金持ちの、ヨセフという名の人が来た。彼自身もイエスの弟子になっていた。この人がピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願い出た。そこでピラトは渡すように命じた。」
(マタイ27・57~58)

「さて、ここにヨセフという人がいたが、議員の一人で、善良で正しい人であった。ユダヤ人の町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいた彼は、議員たちの計画や行動には同意していなかった。この人がピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願い出た。」(ルカ23・50~52)

「その後で、イエスの弟子であったが、ユダヤ人を恐れてそれを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスのからだを取り降ろすことをピラトに願い出た。ピラトは許可を与えた。そこで彼はやって来て、イエスのからだを取り降ろした。」(ヨハネ19・38)

 金持ち、議員、善良で正しい人、神の国を待ち望んでいた、他の議員たちの計画や行動(おそらくイエスさまの十字架刑のことでしょう)には同意していなかった・・・。そんな人物です。ローマの総督ピラトに、囚人の遺体の引き渡しを願い出ることができるほどに、力のある人物であったことがうかがわれます。おそらくガリラヤ出身の弟子たちや十字架刑を最後まで見守った女性たちには不可能だったことでしょう。ヨセフだけが成しえた奉仕だったのです。
 そこで気になるのが「イエスの弟子であったが、ユダヤ人を恐れてそれを隠していた」という言葉です。イエスさまを信じてはいるけれども、こっそりと信じていた。表面的には信じていないふりをしていた。今でいうと、日曜日の朝に教会に出かけようとしたとき、近所の人から、どこにお出かけですか、と問われたとき、うんちょっとそこまで、という感じです。葬儀や地域の行事の中で、信仰をはっきりと表現することになる場面があっても、適当にごまかすことになっていたということでしょう。何ともなまぬるいと言いますか、はっきりしない人物です。社会的な立場や、さまざまな利害関係に縛られているからでしょう。キリスト者である政治家たちの中にも靖国参拝する人がおられるでしょう。そんな感じですね。それがアリマタヤのヨセフであったと、想像してよいのではないでしょうか。
 心に留まるのは、そのようなヨセフに、神さまはこの大切な奉仕を託された、ということです。信仰をはっきりと表明することのない人物に、しかし神さまは、その人物でなければできない奉仕を用意していてくださった。ヨセフはこのとき「勇気を出して」その奉仕を担いました。勇気を出したのです。このとき、勇気を出してほしい、とのイエスさまの願いに答えたのです。
 囚人を取り下ろす、それだけで社会的な評価が下がることでしょう。ましてやユダヤ人の敵として殺された人物を自分の墓に葬るのです。もうこれ以降は議員として生きることが難しくなるかもしれません。家族にもその累は及ぶかもしれない。しかしヨセフは勇気を出したのです。
 私たちも、私たちにしかできない奉仕を、イエスさまは用意していてくださいます。勇気を出して、その奉仕を担いましょう。イエスさまは、私たちが勇気を出すのを待ち望んでいてくださいます。またそれが誰かの信仰の励ましとなることでしょう。

 イエスさまはこの地上に降誕くださったクリスマスに、その重要な役割を担うことになったのはマリアさんです。そこでカギとなった人物は、マリアをいいなずけとしていたヨセフです。ヨセフの信仰によって、マリアへの愛によって、イエスさまはこの地に来てくださいました。いままた、もう一人のヨセフによって葬られました。イエスさまのこの地上の生涯は、二人のヨセフによって実現した、といってもよいかもしれません。
 ヨセフは、旧約聖書で有名なのは、アブラハム、イサク、ヤコブ、そしてその子ヨセフの、このヨセフでしょう。
 ヨセフの命名のいきさつは、創世記30章23、24節に記されています。

「彼女は身ごもって男の子を産み、『神は私の汚名を取り去ってくださった』と言った。彼女は、その子をヨセフと名づけ、『主が男の子をもう一人、私に加えてくださるように』と言った。」

 ヨセフは「汚名を取り去って下さった(すすいでくださった)」と「もう一人私に加えてくださるように(加える)」という意味が込められているとのこと。
 ヨセフは、救い主の降誕と埋葬にふさわしい名前の人物なのかもしれません(ちょっと意味が飛躍していますが(笑))。

 今日は、備えの日、明日は主の日、またイースター礼拝です。
 今日は、また団体の納骨堂にて墓前礼拝も行われ、幾人かの兄弟姉妹がご奉仕に向かって下さいます。感謝です。

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ハナミズキの花が進んでいます。