静まりの時 2022年4月8日(金)
第一ペテロ3・13~17
「・・・たとえ義のために苦しむことがあっても、あなたがたは幸いです。人々の脅かしを恐れたり、おびえたりしてはいけません。むしろ、心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。・・・」
(第一ペテロ3・14,15、新改訳2017)
迫害の中にあった初代教会の兄弟姉妹たちに、たとえ義のために苦しむことがあっても幸いである、人びとからの脅かしに恐れたりおびえたりしてはいけない、むしろ心の中でイエスさまを主としなさい。聖なる方としなさい、と使徒ペテロは語りました。ペテロの心には、あの山上の説教において語られた主のことばが響いていたことでしょう。
「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです」(マタイ5・10)。
主は、義のために迫害されている者は幸いである、天の御国、神さまのご支配は、そのような人たちのものなのだ、と語られました。迫害の中にある時、神さまが遠くに置かれたように感じるかもしれませんが、むしろそのようなときこそ近くにいてくださる。それがイエスさまだ、それが神さまだ、と言われました。恐れたりおびえたりせず、心の中でイエスさまこそ私の主である、このお方を私から奪い去ることは誰にもできない。そのために主は十字架に架かり、またよみがえって下さった。このお方は何があっても私と共にいてくださる、と信じるように私たちは招かれています。
教会における迫害、あるいは戦いは、信仰に反対するこの世の勢力からのものがまず挙げられると思います。唯一まことの神のみを礼拝するキリスト者は、皇帝礼拝を強いるローマの勢力から迫害を受けたことでしょう。あるいは権力者たちは、キリスト者を迫害することで、民衆の心を自らになびかせようとした、ということもあったでしょう。
あるいは唯一の神を礼拝する当時のユダヤ教からの迫害も厳しくあったことでしょう。イエスさまが十字架に架かられることとなった原因の一つは、この当時のユダヤ教指導者たちからの迫害でした。
さらには手紙の中に記されているものに、福音の純粋性に対するものがありました。つねに教会の中には「ほかの福音」(ガラテヤ1・6)が忍び込んできたのです。その中で純粋な福音を守るための戦いがありました。
そして愛の戦いがありました。教会の中で愛が冷えていく。互いにさばき合うことが起こる、そのような中にあって、愛に生きるようにと切々と使徒たちは語りました。
信仰に生きようとすると、このような戦いがある、と聖書は語ります。イエスさまを信じる信仰生活は確かに平安と愛に満ちているものですが、それはまた私が愛する者に造り替えられていく道でもあります。愛する者として生きようとすれば、必ず傷つくといことを引き受けなければならないのです。それが信仰生活、あるいは教会生活です。
神さまを愛して生きようとすると、この世との戦いが生まれる。隣人を愛そうとすると、そこで自らが傷つけられるということが起こる、それらを引き受けるということです。
しかしそのような中で、恐れたりおびえたりせずに頑張りなさい、と言われても頑張れる人ばかりではありません。頑張れない自分、愛せない自分を責めることだけになるでしょう。
まずイエスさまを愛する、イエスさまを聖なるお方とする、どのような状態の中にあってもこのお方と私の関係だけは、聖なるもの、だれにも犯すことのできないものであることを信じましょう。
また、愛に生きようとすれば、自らが傷つくことを引き受けなければならないということですが、実はそこであらたに気づかなければならないことは、自分に対しても傷ついておられる方がいること、自分の言動によって心痛めていてくださる方、我慢していてくださる方がおられるということでしょう。誰かの言動に傷ついたならば、そのとき自分もどれだけ誰かを傷つけていることかと、自らを振り返る。自分は被害者であると思い込んでいたことが、実は加害者でもあったのだということに気づいていく。そうしてお互いさまであることを受け入れてこそ、教会生活は、そして人生は成り立つのでしょう。
神のごとくゆるしたい
ひとが投ぐるにくしみを
むねにあたため
花のようになったらば
神のまえにささげたい(八木重吉)
渡辺和子シスターは、この詩を引用しながら
「『どうして、なぜ』と、他人を咎めたくなる日に、『誰だって、他人に言えない苦しみ、悲しみがある』という思いが、私を少し優しくしてくれたように思います。人はそれぞれ、悲しみであれ、苦しみであれ、“目に見えないもの”を持って生きているのです。このことを忘れないで、自分の生き方を正し、他人の生き方への理解を深めてゆきたいと願っています。」
(渡辺和子、『目には見えないけれど大切なもの』、33頁f)
と書いておられました。
昨日は三回目のコロナ・ワクチン接種を受けました。三回ともモデルナとなりました。すこし接種箇所に痛みがありますが、今朝の状態ではそれほど大きいものではありません。妻は接種のタイミングが私よりも約一か月早く進んできたので、2月の時点で三回目の予約をしました。私は三月に入って案内が来たので予約することになりました。二人の副反応が重なるといろいろと不具合も起こるだろうから、別の日にするのがよいと考えていたところでしたが、そのことを忘れて深く考えず予約をしたところ、同じ日の同じ会場となっていました。ずいぶんもうろくしてきたようです。妻の方は、私よりも腕の痛みが大きいようで、今日の家事当番は私がスタメン、先発出場選手になりそうです。これから朝食づくりに行きたいと思います。