それに答えなさい

静まりの時 2022年2月25日(金)
ルカ20・1~8

「イエスは彼らに答えられた。『わたしも一言尋ねましょう。それに答えなさい。」

(ルカ20・3、新改訳2017)

 ルカの福音書19章の終わりに、イエスさまがエルサレムに入城され、そこで宮きよめを行われる様子が記されています。この20章から、イエスさまが十字架に向かわれる一週間の出来事が記されていきます。
 ある日にイエスさまは宮、すなわち神殿で人びとを教えておられました。イエスさまが教えられることは福音です。そこに祭司長、律法学者、長老たちがやって来ます。彼らは一緒になってやってきた、と聖書は記します。普段は一緒にいなかったということでしょうか。それぞれに宗教的な、政治的な、民族的な権威をもっている人たちです。彼らはイエスさまに問います。「何の権威によって、これらのことをしているのか。あなたにその権威を授けたのはだれか」と。
 純粋にイエスさまの権威を知りたかったわけではないでしょう。イエスさまが父なる神さまの権威によってこれらを語っている、福音を語っているとお答えになったとしても、彼らはそれを受け入れなかったでしょう。つまり自分たちの権威が揺るがされていると感じ、それが面白くなかったので、イエスさまの活動をくじくために、あるいは批判するために、さらには自分たちの権威こそ本当の権威であると証明するためにやって来て質問したということでしょう。
 教会にもときおり問い合わせや質問があります。純粋に、あるいは飢え渇きをもっての問いもあります。しかし中には自分の考えや宗教、人生の正しさを主張するために問いかけてくる人がいます。もちろんそのような問いかけの中にも深い飢え渇きがあるのかもしれません。牧師はその飢え渇きを見て取って、受け止めていかなければならないのだと思います。しかし、確かなことはそのようにいわば自分の権威を主張されているうちは、神さまのお言葉が入って行かないということです。そよそよと流れる小川から水筒に水を汲もうとすると、水筒の頭を低くしなければ汲むことができないように、神さまの恵みをいただくためには、自分の頭を低くし、いたずらに自分の権威を主張することから自由にならなければ不可能なのです。
 イエスさまは彼らに答えられました。「わたしも一言尋ねましょう・・・」。
 その問いに彼らは戸惑います。イエスさまの問いに答えることが、自分たちの立場を鮮明にし、どちらに答えても自分たちの立場を難しくすることが予想されたからです。それで答えました。「・・・知りません」と。つまり答えなった、ということでしょう。するとイエスさまは言われました。「わたしも・・・言いません」。
 神さまからの問いに答えないと、神さまも答えてくださらないのです。もともと彼らがイエスさまに、すなわち神さまに問いかけたのです。しかし逆に神さから問い返されました。その問いは自分たちの態度を決定させるものでした。態度決定することを良しとしない、だから答えない、としたときに、神さまからの答えもやって来なかった、と。もし神さまから答えていただきたい、と願うならば、まず神さまからの問いに自らが答える、態度決定をして行く、そうでないと答えはやって来ないということでしょう。

 人生に問題が起こります。私たちは問います。なぜこのようなことが起こるのか、と。しかしあるい人は言いました。その問題によって人生そのものが私に向かって問いかけているのだ、私は人生から問いかけられているのだ、と。問題が起こります。なぜ問題が起こるのか、と問います。しかし問われているのです。あなたはこの問題を、この事態をどう受け止めるか。ここにも神さまの権威があることを受け入れるか、と。自分の人生において自分の態度決定を先送りにしながら、なぜと問いかけているうちは、人生の答えはやって来ないのです。すなわち自分の人生を生きることができないのです。
 祭司長たちは「権威」を問いました。神さまの権威は、私たちを自由にする権威、力です。その神さまのお力を受け入れるかどうか。それが問われているのです。あらゆる事態の中で問われているのです。
 なぜと問うよりも、このような中にも神さまはともにいてくださる、と信じること。そのように神さまに向かって答えていく、神さまの権威を受け入れていくのです。そうしてこそ自分の人生を自分らしく豊かに生きるのではないでしょうか。

 暖かくなるとの予報に反して昨日も寒い一日でした。今朝も今シーズンで一番の冷え込みとか。高野山ではマイナス9度まで下がったとラジオが伝えていました。
 昨日は午後に団体の会計監査がありました。守山からと長浜から監事の方がご来会下さり、団体の会計帳簿を監査してくださいました。祈りで始まった監査は1時間ほどで終わりました。これで3月末の団体総会の準備が進みます。感謝です。
 朝に祈りの課題が一つ伝えられました。20年ほど前に日本宣教をリタイアされ母国イングランドで生活されている恩師の宣教師が脳梗塞(a major strokeとありましたが、脳卒中かな)で倒れられたと。極寒の琵琶湖で洗礼を授けてくださった先生です。言葉と認知に後遺症があるようです。一人での生活が難しい奥さまも現在は一人での生活となっているとのこと。覚えてお祈りに加えてくだされば感謝です。コロナ禍でなければすぐにでも渡航したいところです。何もできませんが。

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面白い雲が出ていました。