意味もない説明を一切付け加える気になれない、イメージがあります。十字架上の主のそれです。
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十字架上のキリストのイメージを繰返し目のまえに置かなければなりません。
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一つのイメージに執着すると、それは死んでしまいます。ブレイクは目の前を掠めすぎる喜びにすばやくくちづけをしました。私たちもそうすべきです。そのような場合にこそ、イメージはその全体的効果において、きわめて重要な何ものかを取りついでくれるのです。『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、310-312頁
2019年8月8日(木)
「ひとつのイメージに固執すると、それは死んでしまいます。わたしたちはブレイクが喜びというものを処理したようにしなければなりません。すなわち、喜びが飛びかう時に、それに口づけせよ。そしてその場合、全体的効果を言えば、心的イメージは非常に重要なものをわたしに取り次ぎます。」(竹野訳、142頁)
イメージは大切であるということでしょう。執着、固執しないで、「目の前を掠めすぎる(かすめ過ぎる)」瞬間に心を開く、ということでしょうか。
「そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。」(第1ペトロ2・24)