ある人たちはこんな不平を言います。「イエスが人間であり、同時に神であるならば、彼の苦しみや死に、どういう価値があるというのです? 神でもある人間にとっては、それはごく容易なことだったに違いありません。」
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まったき従順、まったき苦しみ、まったき死は、イエスが神であったがゆえに容易であったというだけではありません。イエスが神だったからこそ、それらは可能だったのです。しかし神のなさったことだから受けいれないというのは、理屈にあわないのではないでしょうか。
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私が急流に押し流されかけているときに、片足を岸にかけている人が手を差しのべてくれたとします。あっぷあっぷしながらも私は、「そんなの、不公平だよ。きみは岸の上に片足をかけているんだから」と叫ぶでしょうか。『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、78f頁
2019年2月22日(金)
まことの神であり、まことの人であるお方、それがイエスさまです。
まことの神であり、まことの人であるからこそ、私たち人間を救うことができます。
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。」(フィリピ2・6~11