うぬぼれと自己中心主義を無条件に捨て去ること

人間は自力で立とうとし、自分が自分の主人であるかのように振舞おうとしてきました。いいかえれば、堕罪の罪を犯した人間は、ただ改善を必要としている不完全な生きものというだけでなく、武器を投げ出して投降すべき反逆者なのです。
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悔い改めは楽しいものではありません。それは単に<屈辱を甘んじて受けいれる>というだけではありません。それは、人類が数千年間にわたって身につけてきたうぬぼれと自己中心主義を無条件に捨て去ることなのです。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、76f頁

2019年2月20日(水)

悔い改めるとは方向変換であるといわれます。自分に向かっていた人生の方向を、これからは神さまに向かって生きるように変換することです。自分の方向に向かっていた人生は、良いことも悪いことも自分に向かっているので、良い時には高慢になり、悪い時には自己嫌悪に陥ります。しかし方向を変換し神さまに向かいようになると、良い時には神さまに感謝し、悪い時には神さまに祈るようになります。
ただ方向を変換しただけですから、立っている位置はあまり変わりません。そこから見えている景色にもにわかに変化は見られません。しかし方向が返還されているのですから、確実に人生は神さまの方向に前進します。

「そのときから、イエスは、『悔い改めよ。天の国は近づいた』と言って、宣べ伝え始められた。」(マタイ4・17)
「ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。」(1ペトロ3・9)