〔仕える教会〕
2015年5月12日(火)
福祉活動において教会は、最後の審判のたとえの重要な判決要旨であるマタイによる福音書25章31,32節によれば、まさにこれらイエスの兄弟たちの中で―究極的にはただただ空腹の、のどの渇いた、故郷のない、裸の、病気の、囚われた人であるまさに王者、つまりイエス・キリストに属するものであると告白するのです。
福祉活動において教会は、イエスにより命じられ、イエスとの交わりにおいて実行される、強盗の手に落ちた人へのサマリア人の奉仕として、イエスによりはっきりと教会の証しをなします、この失われた人の隣人であられたイエスと共に。
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あの最も小さな人びととの活発な連帯がなければ、そして失われた人びとの隣人である十字架にかけられた方イエス・キリストによるこの具体的な証しがなければ、教会の証しは、たとえほかの点では純粋で完全であろうと、その全体は無に等しいのです。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、273ff。
福祉活動(デイアコニー)は、教会が教会であるための一つの生命線です。教会は、福祉活動を通して、弱者の王者であるイエスさまに属する者である、と自らを告白します。
弱者と活発に連帯すること、それが失われた人びとの隣人であるイエスさまの証しをすることです。この連帯と証しがなければ、どんなに立派に見える教会であっても、どんなに完全に見える信仰であっても、無に等しいのです。
(祈り)
神さま、弱者と共に歩ませてください。
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