世界のための教会

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〔仕える教会〕

2015年5月11日(月)

イエス・キリストの現実の教会は、自らを世界と連帯したものとして認識し、振る舞うことが人びとに求められている共同体です。世と等しくなることではありません。
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もし教会が世と連帯するつもりがないならは、即座に再びその目を閉じ、従って世と等しくならざるをえないでしょう。
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世をよく知る教会は必然的に世に結ばれた教会であります。
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たしかに教会はその任務の実行において人びとに対し距離をとり、人びとに反対もし抵抗もしなければならないでしょう。否を言うことなしには、教会は人びとに然りを言うことはできないでしょう。しかしいかに十分な根拠をもって厳かに距離を置こうとも、いかによく考えられ当然と思われるすべての反論と反抗も、もしそれが人間世界全体との、個々人すべてとの極めて深い結びつきから行われるのでなければ、教会に何の役に立つでしょうか。

                                 カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
   小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、272f。

教会は、地の塩、世の光です。イエスさまを信じるものは、地の塩、世の光です。

この世にあって、塩であり光であり続けなければなりません。この世に溶け込んで塩気を失ってはいけません。この世に溶け込んで塩気を発揮しなければなりません。この世に暗やみに紛れ込んで輝きを失っていけません。この世の暗闇の中でこそ輝く者でなければなりません。

イエスさまは、イエスさまを信じる一人ひとりと、世の終わりまでともにいてくださり、その一人ひとりに塩気を与え、輝きを与え続けてくださいます。

(祈り)
神さま、きょうもこの世にあって塩として、光として歩ませてください。

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