〔フィリピの信徒への手紙のキリスト賛歌〕
2015年4月22日(水)彼らはキリスト・イエスの「連帯」の中におり、イエスの御身体の構成員であります。
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キリスト教的思考の対象として、人間はキリスト・イエスに結ばれてあの全き定められた真理の光の中に立ち、恵みの戒めに支配されている、ということが表わされています。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、232f。
イエスさまを信じる者はみな目標を神さまからいただいています。その目標とは「イエスさまのようになる」ということです。イエスさまのように愛に生きること、イエスさまのように聖さに生きること、イエスさまのように真理に生きることを目標としています。そして何よりもイエスさまのように、私たちも日々十字架を負って生きるのです。
しかしこのような生き方が可能となるのは、イエスさまご自身が私とともにいてくださるからです。イエスさまは遠く離れて私たちにエールを送っておられるお方ではありません。イエスさまは世の終わりまでともにいると約束をしてくださったまことの神さまです。
ですから、ここでイエスさまを信じる者が、互いに思いを一つにすることを心がけるのは、イエスさまもそのようにしてくださったから、という模範としてのイエスさまを理由としているのではなく、お互いがイエスさまご自身の身体である教会のひとりであるからです。イエスさまに結ばれて、その恵みの御手の中に置かれているお互いであるからなのです。
イエスさまを見上げる目的は、目標としてというのではなく、ともにいてくださる恵みを確認するためなのです。
愛に生きる力は自分の中にはないけれども、愛をいっぱいにお持ちのイエスさまがともにいてくださることを感謝するのです。
(祈り)
神さま、ともにいてくださることを感謝します。ともにいてくださるのでこのような私にも愛に生きる道が開かれています。
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