〔聖餐〕
2015年3月15日(日)私たちがいただくパン、聖別された杯はイエス・キリストの御体と御血の共同体です。パンと杯は被造物であり常につくられた物であり続けます。だが神の知恵と力により、パンと杯は仕え、示し、意味づけ、証し、調停するために制定されたのです。その奉仕を通して私たちはキリストの真の御体と御血をいただき飲むのです。たしかに口と歯でもってではなく、信仰において聖霊の力により、しかもその奉仕なしでなく、その奉仕によってであります。
カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、153f。
神さまによって造られた物であるパンと杯。その二つのものが神さまに仕え、奉仕します。その奉仕によって、私たちはイエスさまのお身体をいただきます。私たちはイエスさまのお身体に生かされる経験をします。神さまはそのような道を私たちのために用意してくださいました。私たちは、造られた者として感謝してこれをいただきます。
少し理屈を超えています。しかしこの世に生きる私たちは、この世のものを通してこの世のものでないものを経験します。見えるものを通して見えないものを経験します。
そして目に見える教会を通して、目に見えない教会に生かされていることを学びます。
(祈り)
神さま、目に見えるものの中にあって、目に見えるものではなく、目に見えないものを見ることができますように。
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