〔聖餐〕
2015年3月14日(土)聖餐は私たちに何を証しするのでしょうか。「私たちは常にキリストに結ばれており、キリストは常に私たちの内におられるということ」です、私たちは常に新たに、キリストが肉と血からなる人間として永遠の神と共有なさるのと同じ共同体に入って行けるのですから。
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聖餐が証ししているように、私たちが信仰にあってイエス・キリストの人間としての存在、その御体と御血を受け、いただき、食し、飲み、私たち自身のものにし、そしてイエスが神と共にあるように、イエスにあって神と共にあるようにと養われるのでありますが、そこにこそ、私たちが神にその啓示に対して当然なすべき感謝があり、その点でこそ教会が教会であり続けます。
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私たちは、神が与えてくださったものを受け入れるということより他に、神に感謝しようがありません。聖餐で重要なのは、生きている種子を豊饒な大地に播種するのに比較できる聖霊の働きであります。
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人間というものは、常に自分自身に逆らって信じなければなりません。神お一人が、本当に神が、人のためにいてくださることを信じなければなりません。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、152f。
聖餐式をギリシャ語で「エウカリスティア」つまり「ユーカリスト」といいます。「エウ」あるいは「ユー」は「良い」という意味で、「カリスティア」あるいは「カリスト」は「恵み」あるいは「恵みの賜物」といった意味で、合わせて「ユーカリスト」は「感謝」をあらわす言葉です。つまり聖餐式とは感謝という言葉と同じなのです。
私たちは、神さまが差し出してくださった、御子イエスさまのお身体を食することをもって、神さまに感謝をお捧げしています。感謝というと普通は感謝する者が何かを差し出すことなのですが、ここでは受け取るということをもって感謝するのです。
実際に食するのは、パンとぶどう汁ですが、私たちは聖霊にあって、それが御子イエスさまの肉であり血であることを信じています。
ヘンリ・ナウエンは、毎日このユーカリストをささげています、といいました。(『燃える心で』より)
(祈り)
神さま、教会共同体につなげられていることを感謝します。
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