我らの日用の糧を、今日も与えたまえ

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〔我らの御父 主の祈り〕
2015年3月4日(水)

・・・この根源的な語「パン」をその全き単純さにおいて見失わないことが大事だと強調したい。聖書の言葉で、パンは2つの意味を持っています。

1、「パン」は生きるために絶対にかけがえのないものです。
・・・
神が必要なパンと、パンと共に命を与えてくださらないならば、何の保証もありません。

2、旧新約聖書では、「パン」という語は神の永遠の恵みの、現世での徴(しるし)でもあります。
・・・
この意味に基づいてパンは聖別されたものです。

・・・

聖書ではどの食事も、ごくつつましいものでも極めて盛大なものでも、聖別されたものです。というのは、食事は祝宴の、永遠の喜びの宴の約束だからです。聖書では肉体的時間的命は聖別されています、なぜなら生命は不死の、永遠の命の約束だからです。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、136f。

神さまは私たちがきょうを、そして明日を生きることができるために、必要を与えてくださいます。またそれを通して永遠の命に生かされている喜びを確かにしてくださいます。

今こうして生かされているのは、神さまの奇跡なのです。

(祈り)

神さま、日ごとの糧を、今日も与えてください。そして永遠の命に生きる喜びを確かにしてください。

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