〔「ついて来なさい」との呼びかけ〕
2015年2月22日(日)義なる人びとは悲惨な世界に、実際に悲惨な人びと自身のためにいました。
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彼らにとってイエスは彼らの兄弟として、神は彼らにとって彼らの父として事実知られていたから、それゆえ彼らは食事を供し、飲み物を出し、宿泊させ、衣服を着せ、訪ねたのです。―彼らはそれをしたのでしょうか。それこそ、イエスの再臨において明らかにされることです。
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その問いはまったく同じように教会に連なる個々の枝のすべてに、教会の規則に、祭式に、説教に、神学に向けられます。すなわち、そのすべては、このようなイエスの兄弟たちである悲惨な人びとと、どんな関係があったでしょうか。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、118f。
この世界の中で、私たちがイエスさまのために成した愛の業は、イエスさまの再臨の時に明らかになります。きょう、さまざまな形でお出会いする方の中に、イエスさまのお姿を発見する者でありたいと思います。幼な子の中に、困窮者の中に、新来会者の中に、諸問題を抱える方々の中に、そして普通の人々の中に、イエスさまのお姿を発見する者でありたいと思います。
(祈り)
神さま、あなたを愛させてください。
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