〔「ついて来なさい」との呼びかけ〕
2015年2月19日(木)人間は聖書の中では、神を渇望することをーそうしようとしまいとー本質的に必要とする存在であります。
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聖書の中で神と言われ、神である方は、直接に知ることのできる方ではなく、人の心にありありと思い浮かべて所有できる方ではなく、むしろ常に外から異質で力強く人に近づいてくる神です。
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聖書の神は、人の見ることのできる、聞くことのできる、手に触れられる証しの中で、認められ、渇望され愛されることを望んでおられます。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、113f。
神さまに造られた私たちは、神さまを知りたいと願っています。神さまに出会い、神さまに触れ、神さまを経験したい、神さまを愛したいと望んでします。しかしまことの神さまである聖書の神さまは、自分なりに知ることのできるお方ではなく、「外から異質で力強く」近づいてきてくださる神さまです。
ですからどうしても、自分自身をこのお方におゆだねし、自分中心から神さま中心にしなければ、知ることができないのです。
しかし神さまは無限の愛をもって近づいて来てくださいます。先行の恵みによって、近づいて来てくださいます。すべての人は、神さまを知りたいという渇望を持っていると同時に、神さまを知ること、神さまを愛することができるのです。
きょうも、神さまを中心にして歩みたいと思います。
(祈り)
神さま、あなたを知ることを喜びとしてくださったことを感謝します。
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