人間の良心が、人間を神から逃走させる

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〔神の呪いと祝福のもとで生きる〕

2014年3月18日(火)

「そこで、アダムとその妻は、主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。」(創世記3:8)

人間を神からの逃走にかりたて、その結果、原則的に神の正しさを認めながらも、他方では逃げて隠れ家に閉じこもりさえすれば安全だと思わせるものが、人間の「良心」なのである。
・・・
人間は実際に、自分の善悪の判断に従って生きるようになり、分裂したままで歩み続けるのである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、137頁f。

私たちはみな良心をもっています。この良心はアダムとエバが罪を犯す前、すなわち人間が堕落する前には存在しなかったとボンヘッファーは語ります。
良心とは神さま抜きに人間が自分の判断に従って生きることです。アダムはこの良心に従って神さまの前から逃げたのです。良心がなければ逃げることもしなかったでしょう。

私たちはみな罪人です。そしてこの良心をもっています。ですから神さまの前から逃げ続けています。そして自分の善悪の判断に従って生きています。自分の善悪の判断に縛られて生きているといってもいいでしょう。自分の善悪の判断ですから、それが自分にとって、また隣人のとって、幸いの道であるかどうかは疑わしいものです。その疑わしい生き方をしているのです。
しかし人生の幸いは、神さまのもとに戻ることです。神さまの善悪の判断を大切にして生きることです。神さまは御子イエスさまの十字架と復活によって私たちと和解してくださいましたので、私たちは大胆に神さまの前に出ることができます。
神さまのもとに帰って、神さまと共に歩みましょう。

(祈り)
神さま、私の善悪の判断ではなく、あなたのお心を中心にすることができますように。そうしてまことの平安の中に生かせてください。

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