悔い改めと信仰は、神の子にとって両方とも互いに呼応して働きます。悔い改めによって、私たちは罪が心の中に残っており、私たちの言葉と行為に罪が染みついているのを感じます。しかし、信仰によって、私たちはキリストにある神の力を受け取り、自分の心を清め、手を清くすることができるのです。
ヨハネの手紙第1、5章4節
2013年7月13日(土)『心を新たに』~ウェスレーによる一日一生~
(編)A.ルシー、(訳)坂本誠
210頁
キリスト教信仰に生きることは、悔い改めと信仰に生きることです。悔い改めはもともとは方向変換を現わす言葉だそうです。自己中心から神さまの方向へ、罪から清めの方向へ、滅びから永遠のいのちの方向へ、方向変換をするのです。しかしそれは「後悔」を含む感情を私たちに起こさせます。後悔だけが大きくなると人間は生きる力を失います。ですから悔い改めにおける方向変換の意味を大切にしなければなりません。
方向変換の意味を大切にするということは、信仰を大切にするということでしょう。後悔はどこまで行っても自分の力の範囲での出来事ですが、方向変換は神さまのお力の中に自分自身を委ねることです。信仰とは、信じて仰ぐということですが、神さまの方向を向くことは、一歩一歩神さまの清さの方向に歩むということです。速度はいろいろですが、確かに清さの方向に前進するのです。
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