罪を犯したという自覚は神の子が持つことのできる悔い改めのもう一つの技です。
ヨハネの手紙第1、2章1節
2013年7月7日(日)『心を新たに』~ウェスレーによる一日一生~
(編)A.ルシー、(訳)坂本誠
204頁
自分の中に罪はないとする生き方と、罪を自覚してその苦しみの中で滅んでしまう生き方があります。キリスト者の生き方はその中間に位置し、罪の自覚をしつつも弁護者であるイエス・キリストがおられることを信じる生き方です。
ですから罪の自覚があればあるほど聖餐にあずかるのです。
罪を犯したという自覚は神の子が持つことのできる悔い改めのもう一つの技です。
ヨハネの手紙第1、2章1節
2013年7月7日(日)『心を新たに』~ウェスレーによる一日一生~
(編)A.ルシー、(訳)坂本誠
204頁
自分の中に罪はないとする生き方と、罪を自覚してその苦しみの中で滅んでしまう生き方があります。キリスト者の生き方はその中間に位置し、罪の自覚をしつつも弁護者であるイエス・キリストがおられることを信じる生き方です。
ですから罪の自覚があればあるほど聖餐にあずかるのです。
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