心の問題の多くは、こうした一義性の世界で判断していくと、大事なものが抜け落ちてしまう。
藤掛明、『雨降りの心理学』、22頁
「こうした一義性の世界」とは「一つの事柄には一つの意味がある」(前掲書、21頁)ということです。このように考えないと、「法則や化学は成り立た」ず「キリがない」、ということです。
しかし心の問題は、このように一つの出来事に一つの意味だけを求めてしまうと、大切なことが抜け落ちてしまうのです。一つの出来事を、一つの意味だけではなく多面的にとらえていくということでしょうか。
信徒の皆さんの一つの言動を一つの意味だけでとらえようとすると結果的に間違ってしまうことがあります。あるいは不正確にとらえてしまうことがあるということです。その時の牧師自身のバイアスのようなものがかかってしまうこともあるでしょう。できるだけ多面的にとらえることに心がけたいと思います。
そのためには自分自身の心の透明化といいますか、できるだけ自分自身がニュートラルな状態になるということが大切な気がします。色眼鏡で見ないということでしょうか。
自分自身を透明にするためにはセルフ・エスティームを確かにすることが必要になってきます。それは神さまに愛されているということでしかできないことです。信仰がなければ多義性の中で心の問題を考えることが非常に難しこととなります。週の初め、日曜日の礼拝に来きて神さまの愛をいっぱいに受けなければできないことです。そうでなければ人の心の問題を正しく扱うことは限りなく不可能に近いですね。
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