神の「気前のよさ」「太腹」を受け容れた者は、その後で兄弟に対して、冷たい態度を取ることは決して許されない。
リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、324頁
マタイの福音書6章14,15節
2012年10月05日(金)
神さまの気前のよさ、太っ腹とは、無条件に私たち罪びとを赦して下さったということです。しかしひとたび神さまの愛を受け容れ、罪の赦しをいただいた者は、今度は隣人に対してその罪を赦すものでなければならないのです。ですから、神さまの無限の愛をいただいたにもかかわらず、その信仰生活の中で、無限の愛の上に胡坐をかき、いつまでも隣人を愛することをしないならば、神さまの祝福はないのです。
これは厳しい言葉ですが、聖書の語る真理だとリュティは語ります。
今日も主の愛の深さ広さを学び、その愛に生かされ、また隣人への愛に生きる者となりたいと思います。
ただ、何が隣人を愛することになるのかは、考えなければなりません。たとえば麻薬患者の欲するままに麻薬を与えることは愛することではないでしょう。隣人にちやほやすることでも、乞われるままに応え続けることでもありません。自分を愛するように隣人を愛しなさい、といわれるのですから、自分のできないことを引き受けて自分自身を壊してしまうことも、相手を愛することにはならないでしょう。
健やかな愛に生きなければなりません。
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