神のみこころに添うた悲しみ

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霊の働きによる悲しみが始まるときには、人は、もはや自分自身に満足できなくなり「遠くからわが思いをわきまえられる」(詩篇139・2)神の前で恥じ入るのである。そのような「神のみこころに添うた悲しみ」の時は、農夫が後で種をまくために畑を耕すのに似ている。キリスト者にとっては、そのような悲しみが長期にわたって自分を訪れないほど、不安なことはない。それは、そのような悲しみが、すべての霊的祝福のいわば第一段階だからである。

リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、212頁
第2コリント7章10節
2012年06月21日(木)

悲しみがあります。

悲しみには大きく分けて二種類あるといいます。神さまのみこころに添った悲しみと神さまのみこころに添っていない悲しみと。神さまのみこころに添っていない悲しみは不毛ですが、神さまのみこころに添った悲しみは霊的祝福の第一段階だといいます。

神さまのみこころに添った悲しみを経験していますか。また悲しみの中にある友がいてそれが神さまのみこころに添った悲しみであるならば悲しみを取り除くよりも悲しみに寄り添うことでしょうか。

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