そこに聖霊が不在なのはなぜだろうか。それは、私たちの言葉が、あまりにも自分自身の霊と自分自身の奮励努力に充ちているからだと、私は思う。私たちは、教会で単純にならなければならない。そして、貧しさへの勇気を、もう一度獲得しなければならない。そうしたならば、説教と証言は、もう一度力の担い手となるだろう。
リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、211ページ
第1コリント4章20節
2012年06月20日(水)
「自分自身の霊と自分自身の奮励努力に充ちているから」聖霊が不在であるということ。そうであるならば、聖霊に充ちていただくためには「自分自身の霊と自分自身の奮励努力」を捨てればいいのです。
しかしこの自分自身の霊と自分自身の奮励努力を捨てるということはなかなか難しいのです。それを捨てることは恐怖です。
この恐怖に打ち勝つために「貧しさへの勇気」をいただかなければなりません。貧しいというところに立ち続けること。信仰のチャレンジです。そして祝福の一歩です。大きな一歩です。
コメントを残す