霊感の強度に関するもう一つの議論は、新約聖書の記者たちが、もともと旧約聖書では明らかに神が語ったものではない言葉を、神のものであるとしていることである。注目に値する例はマタイ19:4-5である。そこでイエスはこう尋ねている。「創造者は初めから人を男と女に造って、・・・・・・といわれたのです。それをあなたがたは読んだことがないのですか」と。このときイエスは創世2:24から引用した。しかしながら、もともとの言葉は神が発したものではない。それは、ただ男から女が創造された出来事の説明にすぎない。しかし創世記の言葉は、神が語ったものとしてイエスによって引用されている。そしてイエスはそれらの言葉を直接の引用の形で提示している。明らかに、イエスにおいては、旧約聖書が語っているものは神が語ったものであった。
エリクソン、『キリスト教神学、第1巻』、271ページ
第2部、神を知ること、第10章、啓示の保存:霊感
聖書は、旧約聖書39巻と新約聖書27巻で成り立っています。新約聖書は理解しやすいけれども旧約聖書はなかなかわかりにくいという声を聞きます。特にいけにえをささげることや神が天地を創造されたことなど現代社会では理解に苦しむところがあります。ですからキリスト教会の歴史において旧約聖書を軽視する傾向があるかもしれません。しかし旧約聖書も大切な聖書です。
旧約聖書を旧約聖書だけで解釈している宗教は現存しないといわれます。ユダヤ教はタルムード、イスラム教会コーランでそれぞれ解釈しているということでしょう。ではキリスト教はといえば、それは新約聖書で解釈しているという言い方ができるのではないかと思います。
聖書の言葉一つ一つに神さまの霊感が働いています。神さまは愛であり義であるお方です。聖書の正しい読み方は、この神さまの愛と義を読みとることだと思います。聖書のどこを開いても、そこに神さまの愛と義を読みとる者でありたいと思います。
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