「お絹が罪を背負ったのはそれなんだ、親や弟が安楽に暮らせる、卯之は死んだ、生きているはりあいがない、そういうことよりも、生きることに疲れきって、ただもう疲れることから逃げだしたいという気持ちで、-ああ、おれにはそれがよくわかった、おれはそのことだけでまいったよ」
山本周五郎、『日日平安』、「しじみ河岸」、新潮文庫、175ページ。
病気で寝たきりの父、知的な障害を持つ弟を抱え、恋仲の卯之との将来をおぼろげながら望みつつ懸命に生きるお絹。ある日卯之が殺され、その犯人にお絹が自首してきます。判決が出される直前に、この事件の謎を察知した南町吟味与力・花房律之助が捜査を開始。真犯人は別の人物と話は進みます。
やってもいない殺人事件の犯人として自首してきたお絹の真意は「生きることに疲れきって」ということばに現れています。形や内容は違っても生きることの困難さは現代も同じでしょう。地域社会の祝福と福音の前進を祈ります。全世界よりも重たいいのちを大切に生きることのできるお互いであり社会でありたいと思います。
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