めぐみのパンくず

地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしは神である。ほかにはいない。”         イザヤ書45章22節

◎聖書の神は呼びかける神さまです。目があっても見えない、耳があっても聞こえない、口があっても語れない偶像とは違います。この神が「仰ぎ見て救われよ」と言われます。言われ続けているのです。

​◎神の創造された者の中で、人間だけが天を仰ぐことのできる存在ですね。特に悲しい時、寂しい時、美しく広大な天を仰いで心慰められた、ノン・クリスチャンの時代を思い出します。

◎​しかし、ここには仰ぐべき明瞭な呼びかけがあります。「救われよ」との。モーセがイスラエルの民たちを率いて荒野の生活をしたとき、食料はマナでした。これを「みじめな食物」と民は不平を言います。神は怒って「燃える蛇」を送られました。噛みつかれれば激痛と発熱を起こし苦しみます。その時、神はモーセに青銅で蛇を造らせ、「旗竿の上に掲げよ、それを仰ぎ見れば救われる」と言われました。十字架の予表です。自分を噛んだ蛇など見上げられるかと従わなかった者は死んだのです。しかし、苦しみの中で、見上げた者は救われたのでした。

◎この約束は、取り消されることがありません。「燻る燈心を消さず」と約束された神です。その神さまが唯一取り消さなければならなかったのが、人間の罪でした。大いなるジレンマを思いますが、神はご自分の御子の死によって、見上げる者の救いを決して取り消されないようにされたのです。

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