日別アーカイブ: 2016年7月10日

めぐみのパンくず

あなたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたが白髪になってもわたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。”

イザヤ書46:4

◎キリスト者の生涯は、創造主に負われて前進して行くものです。それは私たち自身が意識できること以上の範囲に及んでいるのです。

◎「生まれる前から選ばれた者よ」と言われます。使徒パウロの信仰体験を見てみましょう。彼が救い主と初めて出会ったのは、キリスト者を迫害していたダマスコ途上でした。強烈な光に照らされ、目が見えなくなる中「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」とお声を聞き、回心します。これが最初の主との出会いと思っていましたが、信仰が進むにつれ、主との出会いはダマスコ途上ではなかった、「生まれた時から、私を選び分けてくださったのだと。しかし、信仰の晩年、獄屋の生活の中で「神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び」と告白するのです。キリスト者の選びが尋常でないことを思います。

◎その神さまが責任をもって「背負う」「背負う」そして「運ぼう」と約束してくださっているのです。つらく悲しい、打ちひしがれたような気持で、信仰生活の前進に赤信号がともなってさえも、大丈夫なのです。

◎ゴールは救いです。十字架による救いは天国の門に至るまで、主にあって一直線です。