めぐみのパンくず

すると、私のもとに、セラフィムのひとりが飛んできたが、その手には、祭壇の上から火ばさみで取った燃えさか炭があった。彼は私の口に触れて言った。「見よ。これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた。」”   イザヤ書 6:6~7

◎預言者イザヤにとって、よりどころであったウジヤ王が死にます。その失望感から神殿に行きました。そこには預言者としての大転換が待ち受けていたのです。

◎イザヤはそこで神さまの圧倒的な臨在に触れることになるのです。神に仕える天使たち(セラフィム)が神を賛美していました。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は全知に満つ」と、神殿の敷居はゆるぎ、宮は煙で満ちます。イザヤはただ恐れるだけでした。

◎「神を見たものは死ぬ」のです。そこでは罪びとの真相が暴露され、さばきによって滅ぼされるからです。イザヤは「もうだめだ」口語訳聖書では「わざわいなるかな、私は滅びるばかりだ」と叫ばざるをえませんでした。

◎その時です。セラフィムが燃える炭火を火箸で持って来てイザヤの唇に当てたのです。イザヤの問題は言葉でした。言葉によって他者を糾弾する存在でした。が、その前にイザヤ自身がその言葉を発する唇をきよくされなければならなかったのです。

◎バプテスマのヨハネは「その方はあなたがたに聖霊と火のバプテスマをお与えになる」ルカ3:16とイエスさまを紹介しました。その火のバプテスマのさきがけのような出来事でした。

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