めぐみのパンくず

「さあ、わが愛する者のためにわたしは歌おう。そのぶどう畑についてのわが愛の歌を。わが愛する者は、よく肥えた山腹に、ぶどう畑を持っていた。」”         イザヤ書 5:1

◎キリスト者とイエスさまの関係は、多くのものにたとえられますが、「ぶどうの木とその枝」ヨハネ15:5はよく知られるところです。それは、神さまとイスラエル民族との関係をも表していました。

◎神さまは、よく肥えた山腹で入念に耕作をなし、やぐらを立て、酒舟までも掘って収穫を待ち望んだと、期待をもって豊作を待ち望まれました。神の民の霊的成長と成就をぶどう園にたとえて待ち望まれたのでした。

◎ブドウ酒は「よろこび」のしるしです。詩104:15

神さまは大きなよろこびをもって「愛する者のために歌おう」と言われました。不思議なみことばです。人間が神さまを賛美しほめたたえることはよく知っています。しかし、神さまがご自分の民のために歌っていてくださると言うのです。いかに期待が大きかったかを思います。ところが結果は「腐れぶどうができてしまった。」と嘆かれるのです。ぶどう畑のよろこびの歌は、嘆きの歌に代わってしまいました。

◎キリスト者は、新しいぶどうの園におけるイエスさまとの深いつながりを知るものです。イエスさまが葡萄の木、キリスト者は枝です。ぶどうの木の枝はそれ自体、何のとりえもありませんが、幹につながっていればふさふさとした実を結ぶのです。ヨハネ15章の中でイエスさまは「わたしにとどまりと」何度も言われました。(口語訳聖書は「つながっていなさい」)。キリスト者としての品性の実、救霊のみは、これ以外に結べないのです。

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