日別アーカイブ: 2014年11月23日

めぐみのパンくず

すると彼らはみな、また大声をあげて、「この人ではない。バラバだ」と言った。このバラバは強盗であった。”      ヨハネ19:40

◎ローマの総督ポンテオ・ピラトはイエスさまの人格に触れる程、十字架にかける罪がないことを思います。そこで、過ぎ越し祭に慣例となっている恩赦の話が群衆から出た時「このユダヤ人の王を釈放してくれというのか」マルコ15:9問います。しかし、祭司長たちに先導された群衆は「バラバを釈放してもらいたい」と叫ぶのでした。バラバは暴動の時、人殺しをした暴徒たち一緒に牢に入っていた男ありマルコ15;7、名の知れた囚人マタイ27:16でした。「この人ではないバラバだ」と、どうして言うことが出来たのでしょう。それは「ねたみから」であったとマルコ15:10言うのです。宗教家たちは火のようにねたみを燃え上がらせていたのです。

◎イエスさまはバラバに代わって十字架にかけられることになります。バラバは釈放されるのです。キリスト者は十字架に架けられるのはイエスさまではなくバラバであることを知っています。しかし、それ以上にバラバは私たちということを知っています。

◎ひとりの青年が、上司に代わって(頼まれて)礼拝出席することになりました。初めて入る教会、初めて聞く説教、彼は礼拝が終わったら即座に教会を出ようと決めていました。その日の説教が「バラバ」でした。外国人の説教者が話しの最後に「バラバはあなたです。イエスさまが身代わりになられたのです。」と語った時、青年はその場を立てなくなったのでした。