めぐみのパンくず

“わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。“ヨハネ15:1

◎ぶどうの木はイスラエルの象徴でした。詩篇80:8に「あなたは、エジプトから、ぶどうの木を携えだし、国々を追い出して、それを植えられました」。とありますが、残念ながらイスラエルの民は豊かな繁栄と祝福をもたらすことが出来なかったのです。

◎そこで、イエスさまはまことのぶどうの木としてご自身を示して下さいました。そして、キリスト者はそのぶどうの木の枝なのです。ぶどうの枝は実を結ぶためだけに存在します。松の枝などのようにその枝ぶりが見事だとほめられることのためにはありません。

◎豊かな実を結ぶためには、イエスさまにつながり続ける事だけが条件です。「とどまっていなさい」と言うことばが何回も書かれています。口語訳聖書では「つながっていなさい」です。枝だけでは実を結ぶことが出来ないからですね。

◎具体的につながるということはどう言ったことでしょう。二つの事が記されています。一つはみことばにつながることです。イエスさまからの豊かな供給はみことばをともなったものです。自分の願いが先行するのではありません、イエスさまのみこころが成就して行くのです。二番目は、いつもイエスさまに愛されていること、またイエスさまを愛していることです。キリスト者にとって無くてならないことは、イエスさまに愛されていると言う思いですね。

◎枝に結ばれる実はどんなものでしょう。御霊の実(ガラテヤ5:22,23)と救霊の実が代表的なものとしてあげられるでしょうか!これらが結ばれたことを見る時、本当に喜びが湧き上がるのです。

◎父なる神さまは農夫です。多くの実を結ぶために刈り込みをなさることも忘れてはいけないと思います。

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