みことばのパンくず

“ただ国民のためだけではなく、散らされている神の子どもたちを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである。”

ヨハネ11:52

◎墓の中からラザロをよみがえらされたイエスさま、その事実を目の当たりにして、信じる人々と、信じない人々が別けられました。大祭司初めパリサイ人たちは議会を招集しイエスさまを殺そうと計画したのです。その背景にはイエスさまが民の指導者となりローマに反抗するのではとの恐れがあったからです。

◎そこで、大祭司が語ったことは一人の人、イエスさまが民の代表となって死んでくれれば良いということでした。つまりイエスさまをローマに逆らう者の代表として捕まえ殺すことによってローマの怒りからまぬかれようとのことでした。しかし、大祭司の言葉は「自分から言った」のではなく大祭司として「預言させられた」と聖書は言います。

◎神さまの御意志はしばしば、ノンクリスチャンによって進められて来ました。時代を振りかえるととんでもない指導者が大勢出没し、キリスト者は多大な迫害を受けたこともしばしばです。しかし、聖書はそれらも神さまの許しとご計画の中に備えられた存在だと言うのです。初代のキススト者たちはこの世の支配者に逆らうことはありませんでした。御心に反することが命令された時には、逆らうことよりも殉教の道を選んだのです。

◎大祭司の言葉は、イエスさまの死によって、神の子どもたちが集められるための予告となったのです。罪びとであるすべての人は、一人の罪のないお方、イエスさまの死によってのみ集められなければならないのです。イエスさまが罪を取り除くためにかかって下さった、十字架の前に集められなければならなかったのです。

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