日別アーカイブ: 2014年4月13日

めぐみのパンくず

“イエスは涙を流された。” ヨハネ11:35

◎イエスさまは公生涯に置いてしばしば涙を流せれました。上のみ言葉の涙にはどんな意味があったのか考えてみたいと思います。

◎弟ラザロガ病気で死んだ。そこに来られたイエスさまが「あなたの兄弟はよみがえります。」vs21と言われたのに対してマルタは「終わりの日のよみがえりの時は」と言っています。イエスさまがその時に、よみがえらせることの出来るお方とは信じていないのです。

◎マリヤはイエスさまの足元にひれ伏して「主よ、もしここにいて下さったら~死ななかったでしょう。」vs32と場所の問題をとり上げています。

◎イエスさまが死人を復活させなさることが出来るのは、時間、空間に制限されていないということです。ラザロは死にました。墓の中に入れられました。そのことに対して「終わりの日にはよみがえる」。ラザロが病気で苦しんでいる時、「イエスさまがそばにいて下さったら死なずにすんだ」。との考えは人間的な考えですね。イエスさまは、ご自身のおられるところいつでも、死人をよみがえさせられることの出来るお方なのです。そのことが信じられないで、他のユダヤ人たちと一緒に泣いたマリヤでした。

◎イエスさまの涙(憤りの)を覚えつつ、25節、26節の「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません」のおことばをもう一度深く思いおこせていただきたいものです。今、ここで永遠のいのちを経験できると信じるのが、主の喜ばれる復活信仰なのですから。