めぐみのパンクズ

“イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた。「これこそほんとうのイスラエル人だ。彼のうちにはいつわりがない。” ヨハネ1:47

◎ ヨハネ1章には5人の弟子たちの名前が出て来ます。まずヨハネ、そしてアンデレ、アンデレは兄弟のペテロをイエスさまのもとに連れて行きます。そのまた翌日の出来事として、ピリポとナタナエルがイエスさまに見出されるのです。

◎ 先ずピリポを見てみたいと思いますが、彼は何と決断力に富んだ人であろうかと思います。イエスさまがピリポを見つけ「わたしに従って来なさい」と言われるとすぐに、ナタナエルを見つけて「律法も預言者たち」も預言していた、救い主にお会いしたと告げているのです。聖書と聖書に書かれてある救い主がピタッと心にマッチする人のさいわいを思います。

さてピリポに主を教えられたナタナエル(この名はヨハネの福音書だけに出て来ます。他の福音書ではバルトロマイ)は「ナザレから何の良いものがでるだろう」と一見懐疑的なことを言います。確かに救い主がナザレから出るとの約束は聖書にはありませんでした。しかし、彼はイスラエルの行く末を本当に案じていた人でした。イチジクやオリブ、葡萄の木の下で学者たちは語り、学び瞑想したのですが、ナタナエルは真剣に救い主のことを考えて祈り、時にはもだえるほどに待ち望んでいたのでしょう。しかし「来て、そして見なさい」とピリポに言われイエスさまの方へ歩き始めた時、イエスさまの方から上のみ言葉をかけられたのです。キリスト者はイエスさまに「来て、見た」存在です。主にお会いした時のことをいつも感謝して!

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