御霊の愛、聖徒の祈り、平和の神

◎祈りの要請

◆祈りの友募集中

(30節)兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。

(リビングバイブル訳) どうか、私の祈りの友となってください。主イエス・キリストのゆえに、また聖霊様のゆえに、私の働きのために、清一杯祈ってください。

祈ってくれる友がいることはすばらしいことです。伝道者はだれよりもこの祈りの支援を必要とします。なぜなら宣教の働きが祈りにかかっているからです。すなわち人の滅びと救い、命が掛かっているのですから。どれだけの人がこの真理を理解しているでしょうか。

説教の素晴らしさは人を集めるでしょう。しかし、人を救うのは御聖霊の働きです。そして、祈りがこの働きに顕著に現れるからです。

伝道者パウロはこの要請をお願いできるのはキリストにひざまずくことが出来る人たちであることをよく知っていました。

◆祈りの緊急要請の理由

(31節) 私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、またエルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるものとなりますように。

パウロにとりこれまで最も憂慮する問題はユダヤ人でした。しかもそれはこれまで自分が最も重要なことであると信じてきた事、律法主義をひょうぼする仲間たちでした。これはキリストに出会い生まれ変わる前の自分と向き合うことでした。過去の自分への手紙です。やめろと呼びかけても聞く耳持たぬ自分に対峙したとき諦めるでしょうか。パウロは自分がキリストによる生まれ変わることができたように嘗ての自分が変わるのは聖霊によるしかできない神の奇跡であることを知っていました。

エルサレムの貧しい義捐金は良き隣人としての自主的に集められたものでした。しかし、この義捐金が受け取られない可能性をパウロは心配していました。そこぬいあるのはユダヤ人と異邦人の壁です。問題はユダヤ人の側にありました。すなわち、異邦人を神を知らない汚れた民と刷り込まれた人たちが生理的にどういう態度をとるか、汚れた民の汚れた金は必要としない。貧しい人たちは自分たちが何とかすると。パウロはこのことを痛いほど分かりました。そして、異邦人たちに救いは信仰によるのであり律法や割礼ではないと教えるパウロは仲間ではなく敵に魂を売り渡した敵対者と見なす人たちがいることを知っていたからです。

◆平和の神の求める教会

(32節) その結果として、神のみこころにより、喜びをもってあなたがたのところへ行き、あなたがたの中で、ともにいこいを得ることができますように。

その結果とは、祈りにより問題が解決されることを意味しています。

食物の問題でもめたローマにの教会に神の御心を示しユダヤ人も異邦人もともに受入合うキリストの教会であること。これが平和の神の求めパウロの求める教会でした。争いのある場所それが罪人のいる証です。そして教会でもあります。だからこそ、祈りましょう。

主よ、わたしをあなたの平和のためにお用いてください。

憎しみあるところに、愛を、争いのあるところに和解を、分裂あるところに一致を、疑いあるところに、真実を、絶望あるところに希望を、悲しみあるところに喜びを、暗闇あるところに光をもたらすことができるように導いてください。

(聖フランチェスコの平和の祈りより)

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