◆祝福を携えて
パウロはまだ会ったことのないローマの教会の人たちに満ちあふれる祝福をもって会いに行きたいと強く望んでいました。
その思いは第1章にて語られた通りです。
ローマ 1:10いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。
いつも教会のために祈り、一人一人の為に祈るならばその人たちに会いたいと熱望するのは人情なわけです。
永らく会わない友に会う時はたくさんのお土産と家族の土産話し、昔の懐かしい話など溢れんばかりに持ち友人を訪ねます。パウロが多少のお土産があったとしても何よりも携えて行きたいのは働きの中で神様が下さった祝福の話しでした。その祝福は教会に与えられるものでありローマの教会にも同じ恵みの祝福が与えられるkとを伝えたかったのです。
パウロは教会の人たちに会ってなにがしたかったのか次のように述べています。
ローマ 1:11私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。
御霊の賜物とは信仰の賜物です。信仰は賜物であり神様からのプレゼント、自力で持ちえたものではありません。この信仰の恵みを分かち合い信仰を強くしたいと望んでいました。
励ましにより信仰を強くされて乗り越えて行く苦難多き世の中があるからです。
教会が交わりと励ましにより聖霊の恵みが注がれることを確信するからです。
◆溢れる祝福を届ける使命
パウロはローマに行った後の計画も考えていました。それはイスパニア(スペイン)です。
スペインはすでにローマ帝国の支配地でした、そして西の果てでした。地の果てまでも福音を伝えたいと望むパウロのあふれる福音宣教の思いが溢れています。
パウロのあふれる思いは自分のしたいことを優先させるような働きではありませんでした。
今はエルサレムに支援献金を持ち助けなければならない時でした。
26節それは、マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために醵金することにしたからです。
まだ会ったことはなくても神の交わりをいただく者たちには交わりの方法があります。
祈りと支援です。
マケドニアはアカヤ州首都でした。アレクサンダー大王はマケドニアの王で西インドまで征服しました。マケドニアに住む教会の人たちが、まだ会ったことのないエルサレムの貧しい人たちの窮状を聞いて支援金を集め助けたいと思い行動しました。
何故そうしたのか。それは福音を聞いて信じたからです。福音は情報伝達であるとともにキリストの心を伝えることです。愛された事を知った人たちがその心に実る愛を他者に注ぐようになるのは当然でした。これが交わりです。
私たちもいただいている祝福を携えて分かち合う交わりを大切にしましょう。