時刻は来ています

ローマ書13:11~14

◆主イエス・キリストを着なさい。

私の友人で、すこし変わった趣味の人がいます。怪獣映画ゴジラのファンなのですが彼の部屋にはゴジラの特撮映画の本やグッズがありプレミアもののマニアが垂涎のものがありました。ある時、この人が私の所に訪ねてきてしばらく泊めて欲しいと言いました。なぜかたずねたら特撮映画を撮る円谷プロが経営難のため映画で使用した着ぐるみを売却することがマニア本ででたために彼はなんと親から仕送りされていた学費を使いこみ着ぐるみを買いました。そのため電気代が払えずガスも止められてしまい食べるに困りましたが親にも頼めず、要するにバイト代が入るまで居候させてほしいと言うことでした。仕方なくそれからは友人と寝起きを共にすることになり買い共同生活をしました。そのお礼がわりにゴジラの着ぐるみを私だけにきさせてあげると言われ手伝ってもらい着てみました。ゴジラとはこういう気分なのかと貴重な体験をし着るものにより来たものの気分、心になれる体験でした。

イエス・キリストを着なさい。それは、イエス様として生きることです。イエス様になれるわけではありませんが、イエス様のように考え、生き、心を用いることです。

◆時刻がもう来ています。

この時刻はめざましアラームが鳴っていて行動を開始する時です。なぜなら始まっているからです。

なにが終わりの時ですか。

私たちクリスチャンは終わりの時が来ている緊張感が必要です。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。

ここで言われる救いは艱難時代と再臨による主の救いです。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。

光の武具とは何でしょうか。

エペソ6章に神の武具について書かれています。

ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、 また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。

これらの備えを自分の洋服をきてはいませんか?

腰に真理、それは全ては腰です。腰に知識である真理ではなく自身の古い価値観で歩んでいませんか?胸に正義、自分の義が心を支配していませんか。

足には福音、あなたの足で歩いていませんか?信仰の大盾、攻撃は遠くからではなく懐に飛び込んでくるものかもしれません。それらを守るものは神への信頼です。眠りから覚めて信仰の火と心に聖霊の油を備えて歩みましょう。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *