弱い者を受け入れなさい

ロ-マ 14:1~6

14:1 あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。

14:2 何でも食べてよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜よりほかには食べません。

14:3 食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。

14:4 あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。

14:5 ある日を、他の日に比べて、大事だと考える人もいますが、どの日も同じだと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。

14:6 日を守る人は、主のために守っています。食べる人は、主のために食べています。なぜなら、神に感謝しているからです。食べない人も、主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。

                     

◆真に強い信仰とは

1節あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。

信仰の弱い人について聖書はこう言っています。弱い人は野菜よりほかには食べません。

信仰が強い強い弱い人とはどんな人でしょうか?信仰の熱い人、薄い人、足りない人など様々な表現で言われますが、宗教的に信仰熱心な人は信仰熱心な熱い人ー強い人と考えられています。

野菜しか食べない人はベジタリアンではなくおそらく信仰の理由で肉や魚を殺して食べず野菜しか食べてはいけないと考える信仰を堅く守る人だったと思われます。これが信仰として神の御心にかなう生き方だと信じている人です。

私たちはこのような自分の信じた事柄を実践する人を信仰熱心な人と呼びますがパウロは信仰の弱い人と呼んでいます。どうしてでしょうか?特に旧約聖書の律法に従うユダヤ人だと思います。

コーシエと呼ばれる食物規定を守り信仰を生きる人たちが同じ教会の仲間にいたようです。かつてパウロも熱心に規定を守る人でしたからそういった人たちとの違いを持つ人たちとの良き関係を築いて平和を保つ秘訣を教えてくれています。

パウロがなぜそれらの人の信仰、すなわち昔の自分を含めて弱い信仰と呼ぶのか。それは、自分を強く見せたい、熱心で倒れることのない強い信仰のように見せる人が実は弱い信仰なのだと言うのです。強い信仰と見せようとする人が実は弱い信仰なのだと。誰よりも自身の弱さを知りキリストに寄り頼む弱い人が実は強い信仰の人だという語っているのです。

◆十字架の信仰に立つ信仰の教会

3節食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。

同じ信仰なのに微妙に違和感を感じてしまう。その考えをダメだししてしまう人。

自分は神の与えられたものをすべて感謝して食べている。自分の方が正しくて他は狭い考えで生きていると。その人と意見を交わす時どう言うでしょうか?あなた間違っているよ。神様は…

果たして間違いなのでしょうか?おかしな考えなのでしょうか?

自分の正しさで他人の意見を裁きダメだししてしまう人に神様の十字架の赦しが分かつているでしょうか。意見を裁いてはなりません。

これがパウロの奨める教会における意見の違いを持ちながらも受入合う人間関係の奨めです。これは教会における人間関係だけでなく普段の人間関係にも言える考えです。

5節ある日を、他の日に比べて、大事だと考える人もいますが、どの日も同じだと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。

6節日を守る人は、主のために守っています。食べる人は、主のために食べています。なぜなら、神に感謝しているからです。食べない人も、主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。

他を見て生きる信仰ではなく自分と神様との歩みを大切にするお互いでありましょう。

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