神に立てられたゆえに

1節 人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。

◆神に立てられた権威

上に立つ権威、存在している権威なみな神によって立てられていると聖書は語ります。

この聖書の言葉を読み素直に納得できる人は多くは無いのではないでしょうか。

人類の歴史の中で神の御心に適う政治、政治家、国があったでしょうか?神を信じるイスラエルの歴史を見ても該当する人は僅かです。キリスト教がヨーロッパ世界の価値観を形成した時代をみても皆無と言えます。個人レベルで見たらもう少し見出す事が出来ますが上に立つ人たちが神に立てられていると言える人格であり人を見定めてのことであれば1節の御ことばは現代を生きる私たちには意味をなさないものとして捉えられてしまいます。御ことばが普遍的真理の言葉としてこの御ことばをどう理解すべきなのでしょうか。

◆上に立つ権威に従うべきです

専制君主国家であっても民主主義国家、または社会主義国家であっても制度を維持する国の法律があります。法は人が定めたものであり法の権威と言うものがあるならばそれは人の定め人の考えた決めごとに従うことになります。福沢諭吉は言いました。「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」と。人は対等です。人に上下貴賤はありません。なのになぜ人が人に従わなければならないか?

人の社会には上下関係は付きものです。親子、会社の上司と部下、学校の先生と生徒など様々です。しかし、誤用された平等主義は良き上下関係の道を否定し良き社会と関係を築いてきたものを崩壊させてしまいました。上に立つ権威に従うべきです。とは神が定められたものがあり上下の敬うべき道があると教えているのではないでしょうか。人と人の関係に権威があるのではなく神が置かれたが故の権威なのです。人の定めた制度や法律さえも欠点がありますから改革し修正が必要でしょう。盲目的に立てられた人に従うことでは無く、従わない事を前提ではなく従うことを前提に制度、関係はより良いものに変え良い社会を求めるべきはクリスチャンとしての道なのです。クリスチャンは「人に従うよりは神に従うべきです」と信仰第一として上に立つ権力者に逆らいました。しかし、良き市民であるよう務めたのです。クリスチャンは良き市民であるべきです。

(7節 )あなたがたは、だれにでも義務を果たしなさい。みつぎを納めなければならない人にはみつぎを納め、税を納めなければならない人には税を納め、恐れなければならない人を恐れ、敬わなければならない人を敬いなさい。

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