へりくだる心と信仰

互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。      ローマ書12:16

◆一つにさせる事を邪魔するもの

互いに一つになることは難しいことです。なぜなら、みな違うからです。しかし同じ考え同じ気持ちにならなければならないわけではありません。パズルのピースのように皆違う形でいいのです。しかし信仰は一つでなければ教会はバラバラです。

ローマ教会には様々は人たちがいました。ローマ人の市民階級で市民権を持つ人たち、ローマ人以外の人たち、非市民で市民権を持たない人たち、奴隷、商人、技術者など身分や職業、人種の違いなど様々です。

教会の交わりにおいて一つの心にあるとはどういうことはどういうことでしょう。

次の言葉から何が一つにさせないのか見てみましょう。

身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはなりません。

おそらく教会には身分と教育が受けられた人とそうでない人、経済格差の壁がありました。ローマ貴族の人~奴隷まで様々な人たちがいて、日常生活では奴隷を所有する人が、主人と奴隷という関係が教会では対等な関係で会話するわけです。中には嫌悪感を持つ人、そこまで行かなくても不快な感情を抱く人もいたのかもしれません。また、自分こそ知者などと思っている人がいたからこそ忠告しているのかもしれません。事実この手紙を書いた時、コリント教会にはそういう人たちがいた為問題が引き起こされていたのですから。知識のあるそういう職業の人、教育を受けられず公用語のギリシャ語が読み書きできない人、

何がキリストの体なる教会に壁をもたらし機能不全、動脈硬化をもたらすのか。

これまで当たり前と信じてきた価値観が神の教えの前に光に照らされる時、剥がして捨てなければななないものであることが明らかにされる時、剥がされるのを拒否  する人はプライドが邪魔をして教会を去るかもしれません。そうでなければ無視をするか、痛みを伴っても信仰で受け入れるかです。

◆キリストにへりくだる姿に

10節兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。尊敬心を持つ人はへりくだる人なのです。へりくだればればくだるほど重みのある態度、言葉となり重んじられる人のなるからです。尊敬される人にならなくてもいいです。へりくだる人になるとき重んじられ尊敬される人となるのです。この違いを乗り越えることができるのはキリストにある信仰と愛です。

キリストのへりくだりの十字架こそ教会を一つにできるものです。

身分の低い者に順応するのは見返りの無い愛を求め神の報いを求める信仰から来るものです。知者である高学歴の人がいたのでしょう。財産、地位、その知り合い、学歴、人は誇ろうと思えば何でも自慢します。誇るこころを持つ人とへりくだる心を持つ者が神の御前に立つのみです。十字架の主の血の流れを遮る動脈硬化となる者を取り除き健全なキリストの体としてくださいますよう願いましょう。

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