祝福を分かちあう心

ロ-マ 12:13 聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。

聖徒とは、クリスチャンのことです。学校で学ぶ生徒ではなく、神に学ぶ人たちです。ここにおける対象となるのは聖徒でも無ければ、旅人でもありません。

聖人の入用に協力し、もてなしを与える側に神様は語りかけています。

すなわち与える側の愛を実践するように語られているのです。

私たちが御ことばを実践できるできるできないは別で、従うつもりがあるかどうかなのです。聖徒の入り用、旅人をもてなす。なにも命を与えよとは言ってはいません。協力ともてなしは比較的できる愛だと言えます。

◆無償の愛の実践

聖徒は同じ信仰者ですから身近な人と言えます。旅人(巡礼者)は常に身近な存在だったのです。

身近な存在に出来ることをしてあげる愛。しかもキリストの愛で見返りを求めない愛。私たちはすぐに見返りを求めてしまいます。してあげたのにわたしが困ってても無視してるしありがとうもない。ありがとうは礼儀ですがこれは受けた側が求められることで与えた側が求めることではありません。あげたのに何の返しもしてもらったことが無い、見返りを求めそれが無ければ裁いてしまう自己の愛。

私たちはこのような身近な小さな愛にも利己的なのです。小さな愛ではなく狭い愛と呼べるかもしれません。

小さな愛も持たない私たちが御ことばに従い無償の愛を実践したいと求める心があるならあなたも聖徒です。そして聖書の言葉は人生を導く指針となります。方位磁石が常に北を指すようにどこにいても天の御国への道を指し示してくれます。

◆与えられ分かち与える神の愛

12:1霊的礼拝について語りました。神のチュー二ングを合わせ日々神の御声を求める者に生ける言葉は聞こえるのです。

12:13 聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。もう一度言います。これはクリスチャンが目指す見返りを求めない愛の実践、しかも大きな愛ではなくいつでもできる無償の愛なのです。

例えば、今私たちは天国の門の前にいると過程します。あと50cm 無償の愛を行うなら天国に入れます。しかし、私たちは見返りを求める愛になってしまう。ではどうしたらいいのでしょうか?

……………………無償の愛・あなたは持ち合わせていますか?

無ければどうしたらいいでしょうか?

ルターは言いました。主の祈りの「日毎の糧を今日も与え給え」とは食物の糧だけではなく私をキリスト者として生かしめる霊的糧なのです。求めなければ生きられないと知るキリスト者は今日も主に日毎の糧を求めるのです。と言いました。

キリストが豊かに持つ無償の愛の賜物を分けていただき12:13 聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。分かち与える愛を与えよと宣う主の声に従う者でありたいと願います。

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