ここからパウロの話しの内容が転換して行きます。これまで、福音による救いについて語ってきました。ローマ書の最後の詰めで、救われれた者がどう生きるべきかについて語っています。言わば救いの目的であり最も重要な部分とも言えます。
◆問題提起
1節の霊的礼拝とは何かを理解するために2節から考えてみましょう。
この世と調子を合わせてはいけません。「調子」とはリズムのことです。
私たちは良きにしろ悪しきにしろマイペースで生きています。自分なりのリズムがあり周りとの違いのなかで合わせることは自分のリズムを崩しストレスにもなります。
しかし、周りから浮いた存在とならないためには合わせなければなりません。人と合わせて生きることでストレス社会に少しでもストレスの少ない生き方が出きる方法を探りながら生きています。すなわち、周りと違うリズムで生きることによる自分のリズムが不協和音となり和を乱すことを避けようとしなければならないと信じて生きてきたわけです。世と調子を合わせて生きる。クリスチャンとしての生き方にパウロは問題提起しています。
◆神に合わせる生き方
何も周りを気にせずマイペースで生きなさいとか、その逆に合わせて生きなさいと言っているのではありません。そのどちらでもないのです。
神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知る
神様に合わせる生き方がある。それがクリスチャンとしての最善の生き方がある。と薦めているのです。神様とチャンネルを合わせて生きる時、神のみこころは何か何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知ることができる、迷いのない生き方をすることが出来るようになるのです。
◆霊的な礼拝
(1節)心の一新によって自分を変えなさい。
すなわち、そんな生き方はやめなさい。と言っています。チャンネルを変えなさいと。
(1節)あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。
世のリズムと合わせようとして心砕いた生き方が私たちの人生に何の益をもたらせてくれたでしょうか?合わせるチャンネルは1つなのだとパウロは言います。その生き方に身を捧げることが霊的礼拝なのだと。
私たちはその心のチャンネルを常に神様に合わせているでしょうか?
そうでないなら心のチャンネルを神様に合わせて歩む互いでありましょう。