見てごらんなさい

パウロは何を見てご覧なさいと言うのでしょうか。それは、神のいつくしみと厳しさです。

(22節)見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。

それは親としての愛に例えられるものです。神様の厳しさは懲罰としての厳しさではなく学ぶための厳しさと言えます。鞭を与える厳しさと痛みと言えます。私たちには時に試練と言う形で臨みますがそこに神様の厳しさという形の本当の愛があります。

◆神の厳しさ

罪と死の力に支配され、それに心をゆだね流されようとする人間に、滅びを止めようとする神の愛が厳しさとなり現れています。

神様の厳しさは、愛の無い見捨てるような厳しさでないとパウロは言います。

(11節)彼らがつまずいたのは倒れるためなのでしょうか。絶対にそんなことはありません。

(1節)神はご自分の民を退けてしまわれたのですか。絶対にそんなことはありません。

(9:14)神に不正があるのですか。絶対にそんなことはありません。

(10:18)はたして彼らは聞こえなかったのでしょうか。」むろん、そうではありません。

神様の厳しさは救いの恵みとともに現れています。

①ノアの箱舟―洪水により滅びは厳しさです、ノアが洪水を伝えたのに誰も信じませんでした。 箱舟は神の愛と恵みを現しています。

②出エジプトー叫びを聞きエジプトの巨大な支配と奴隷から救われたのは神の愛です。荒野の旅の厳しさでしたが神の恵みを経験した民は、現状への不満を言い続け、新しい神を立て昔のままの方が良かったと思いました。彼らは約束の地へたどりつけませんでした。これは神の厳しさです。

③イスラエルの民―神の恵みの福音イエス様)を拒否して、福音は異邦人への恵みとなりました。それは厳しさと神の愛を現しています。

④残りの民―終わりの時代に艱難と悪魔の思想、支配という裁きの厳しさ、しか

し主の再臨と救いに神の愛が現れます。

◆神のいつくしみ

あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。

彼らの違反によって/彼らの捨てられること/ 彼らの違反が世界の富となり/

彼らの失敗が異邦人の富となる。  私たちは福音を拒んだイスラエルの民の不信仰、それが私たちへの宣教へと繋がっていることを知らなければなりません。イスラエルの民もまた異邦人が救われて行くことでねたみを引き起こさせ行いではなく恵みによる救いが民の出発点であることを気づかせてくださる恵みが残されているのです。

イスラエルの民の不信仰を見てごらんなさい、同じ失敗を私たちも繰り返し神の厳しさが臨むかもしれないことをパウロは警告しているのです。これは神様の愛です。神様のいつくしみと厳しさの愛の恵みに信仰の姿勢を正して歩む者でありましょう。

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