◆闇の中に光る方
イエス様について聖書は暗闇との関連で書いてる箇所が多くあります。
①羊飼いたちは夜番をしている時、天使たちからその誕生を告げられイエス様に会いに行った。
②東方の博士たちは星に導かれ誕生されたイエス様に会いに行って礼拝を捧げた。
③イザヤの預言にはイエス様の誕生が、「暗やみに座っていた民は偉大な光を見、」と語っている。
④十字架にかかられる前の夜、ゲッセマネの園で祈られ捕らえられたのは夜でした。
⑤裏切られ裁かれたのも夜でした。
⑥十字架にかかられた最中の十二時には全地は暗く夜のようになった。
⑦他国に植民地支配され税金を搾り取られ、為政者は多くの民を殺害した暗黒の時代にイエス様は誕生した。
聖書はイエス様の誕生や救いが闇に輝く光であることを書き表そうとしています。
◆信仰の光を灯せ
クリスチャンの使命は世の光となることです。世の光となろうとして善い行いを行おうとすると律法の義を求めたパウロと同じように、ああ私は何とみじめな人間なのだろうか、という思いに至のが関の山です。心にイエス様を持たない人は、世の光である事はできません。
以前に100円均一でろうそく台を買いました。そして20個100円のろうそくを買いました。それは、
キャンドルサービスのためでした。私はこの安物クリスマス商品をみて思いました
この安物商品でもキャンドルサービスのために役立つ光となることができることを。そしてこれは私たちが世の光となる姿であることを。ろうそくに火を灯すのに安かろうが関係ありません。燭台が安物でも関係ありません。大切なのは火が灯っていることです。ろうそくも燭台も厳密に言えば光ではありませんが暗やみを照らす光です。私たちがその心にイエス様への愛と信仰があるならイエス様が光輝いて闇を照らす方となってくださるのです。光を捜す人は私たちを見て光を見出すでしょう。
その心にあるイエス様えの信仰がこの時代を照らすことの出来るよう、信仰の火を灯し続けましょう。