罪から救って下さる方

◆クリスマスは私たちの救い

クリスマス(イエス様の誕生)を祝う事は、自身がイエス様により(福音)信仰により救われたことを祝うことでもあります。

何故ならイエス様の御誕生の目的が御自身の民を救うことであり、私たちはその民であるからです。

「罪から救われる」事についてローマ書で学びました。

ローマ1:16福音は…信じるすべての人に救いを得させる力です。

救いを与える方はわたしたちがクリスマスに誕生を喜ぶイエス様です。

◆罪から救う命の綱イエス

イエス様の救いは金魚救いの様な救いではありません。

それは泥沼に落ち込んだ人を救う状況に似ています。

泥沼に落ち込んだ人は自力では抜け出せません。そして自力での脱出がかえって悪化させてしまいます。大切なのは救ってくださる人が現れ泥沼であがき沈む人に救いの手を差し延べてくれることです。救うために綱が投げられるでしょう。そして泥沼に落ちた人がすべきことは一つです。綱をしっかりと握るか身体に巻き付けるかして綱を離さないことです。後はゆだねてあがかないことです。

私たちは罪の泥沼に落ち込んでいます。そのことさえ知りませんでした。何故こんなに人生が苦しいのか。人間との問題で苦しむのか。あがき解決し問題から救われるために良き知恵を与えられようと知識の実を得ようと手を伸ばすのです。知識で全ての解決、救いがあるかのように、何が善くて、悪いのか知識が救ってくれるとあがき、罪で暗くなる知性で判断して手をのばしてしまうのです。知識で全てが解決されるならカウンセラーは必要ありません。残念ながらそう言うような時代は訪れる希望は見いだせません。それどころかますますひどくなるばかりです。

死から救われその苦しみから救われるように、イエス様の救いは福音という綱によりそれを掴む者に信仰により握って離さなければ救ってくれる人の力で泥沼から救われるのです。

◆救いの恵みのクリスマス

自分の力で這い上がろうとする自己の義、ますます沈むにもかかわらず力が入ってしまうのです。パウロは言いました。行いによる義で救いを達成しようとしていた自分を振り返り、なんと惨めな人間なんだろうと。

泥沼にいる人がすべきことは綱を握り離さないことです。

その綱がイエス様に繋がる限り救いは確実です。そして、信頼する者には救いに恵みに置かれた喜びと信仰からくる平安が与えられるのです。罪からの救いのプレゼントを恵みによりいただいてる私たちは、救い主の誕生を祝うこの年、感謝と賛美でイエス様をたたえましょう。

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