心に信じて義と認められ

◆心に信じることの大切さ

(10節) 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。この順序は大切です。

なぜなら、人は心にもないことを口にするからです。口で告白すれば救われるなら全ての人はイエス様が来られた時に告白すれば救われます。しかし、心に信じて義と認められることは信仰の導きが必要であり御言葉で心に光が当てられなければなりません。ですから、心で信じていることが重要なことだからです。口では告白しても心では信じていないということがあるからです。

プロテスタント教会の多くが幼児洗礼を廃止し本人の自覚的信仰告白による洗礼を採用したのは心で信じることの重要性を再認識したからです。

◆救いの確信

(8節)「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。

信仰は御言葉を聞いて心が信じることから始まります。信じた心に御言葉がありますか。

(9節)心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。

それは、心で信じているか問われています。心で信じることが神様に義とされることです。

これまで、信仰による義についてパウロは執拗に論じてきました。行いによる義を求めたユダヤ人はそれを得ず、信仰によって義が得られることを論証しました。

では信仰による義とは何か?それは心で信じることだと。心で信じることは神様との個人的なつながりを意味します。

ある方が私に次のような相談して来られました。先生、私は救いの確信がないのです。いつも与えてくださいと祈っているのですがどうしたらいいですか?

この方はいつも心で神様に呼び求め、すでにイエス様と常に繋がっていることに気づいていませんでした。イエス様が聞いてくださっていることを信じ祈ることは、よみがえったイエス様を信じている信仰によるのです。

◆主を呼び求めよ

(12節)主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。

自分が救われているか確信が無い人はいます。それなら今、心のうちで祈ってください。呼び求めるすべての人に恵み深くあられる主がその祈りを聞いてくださっています。主と心が繋がり、信じる心からでる確信により信仰告白を生きる証し人でありましょう。

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