よみがえった方と結ばれて

◆神の愛が心に注がれ変わる私たち

夫婦の結びつきに例えられる、私たちの罪とイエス様との関係。

夫婦の関係は地上だけにおけるものです。今日の聖書箇所でパウロは語ります。じゃあ天国では赤の他人になってしまい天国では地上での生活を思い出すので知らないふりをする冷たい関係になってしまうのですか?という疑問も成り立たない訳ではありません。またその逆も考えられます。

天国ではキリストの愛に満たされますから神の愛で愛せないことがないので他人の振りするという愛のない行為自体ができないのです。

愛の磁力に惹かれる力により地上で嫌いであった人も愛し、愛さないという偽りの行為ができなくなる。イエス様のより贖われた天における姿なのです。

◆神の御心に歩む結びつき

神様は夫婦の結びつきを2人が一体となると教えられました。

創世記2:24それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。

隣に家が建てられています。外壁工事を見ながら、壁のセメントを流し込むまでに鉄金が入れられ壁が完成しました。セメントと鉄金が一体となった姿を見た時、セメントだけでは脆いが鉄金が入ることにより強度が増す。夫婦関係とはこうではないかと思うのです。男は塵で作られ、女は骨でできています。強度は女の方があります。男は脆いです。しかし、一体になる時に神の創られた目的に、義しとみられるのです。形も素材も違う男と女、これが一体となるというのは無理な話しなのですが、一体となると言われた神の御言葉を信じて様々な違いで一体となることが生半可なことではなく、ぶつかり合い削られ神の御心に一つとなる道に歩む。これが夫婦の道です。並大抵なことではありません。この夫婦の関係も解消される時がきます。聖書は夫が死んだ時はと書かれていますが、夫が先に逝くと決めてかかるところが腑に落ちませんがまあいいでしょう。どちらかがこの関係に背く行為がある時は姦淫の罪、すなわち神を裏切る罪になるというのです。

しかし、片方が死ねば一体となる地上での道が成り立たないので他に結婚してもいいと教えています。夫婦は神が結び合わされた(二人三脚で結び合わされている)絆なのです。独身の頃の自由がないのは当たり前す。

◆よみがえった方と結ばれて

どちらの力が強くても一体となる関係を求められます。罪と私たちも罪の奴隷とされる従属的関係、罪を喜ぶ、欲に惹かれる、支配を受け入れている関係でも一体なのです。

この関係が解消されることを願いますか。この関係を解消させるためには片方が死ななければならないという神の教え、イエス様は人となり死なれました。そして、この方の死と一体になりつながり罪との関係に終わりを告げました。もう別れたのです。振り返ることはできません。携帯のアドレスに前の彼氏のアドレスを残しまた連絡を取ることは罪です。

7:4あなたがたも、キリストのからだによって、律法に対しては死んでいるのです。それは、あなたがたが他の人、すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれて、神のために実を結ぶようになるためです。

私たちは今、イエス様と結ばれているのです。前の罪との関係は支配する関係でした。しかし今は愛によるイエス様と一体となることの信仰の歩みをする今、イエス様とともに歩みましょう。

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