行き着く所は

◆恵みの下にある今

6:15 それではどうなのでしょう。私たちは、律法の下にではなく、恵みの下にあるのだから罪を犯そう、ということになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。

パウロが「絶対そんなことはありません。」と強調して否定する言葉が11回出てきます。そのうち10回がローマ書に出てきます。

パウロは恵みによる救いについての説教で大きな誤解を受けていました。

それは、神様の恵みで罪が赦され続けるなら罪を犯しても大丈夫。罪を犯す事に裁きを規定する律法に対し罪を犯しても大丈夫、良い行いをしなくても神様の恵みがあれば赦して貰える。パウロは律法を否定していると教会内外から誤解されていました。

恵みの下にあり、罪が支配することがないなら「罪を犯そう」罪を犯しても大丈夫?絶対にそんなことはありません。と力を込めて否定しました。

◆罪の奴隷も今は主のしもべ

「奴隷」という言葉が10回でてきます。たった8節の御ことばに数多く出てくることはこの言葉がキーワードとなっています。奴隷という言葉はネガティブに捉えることが多いでしょう。確かに、主人のために過酷な労働、自由の無い生活だとしたら好ましいものではありません。

しかし、パウロは1:1で自分がイエス・キリストに召され応答し喜びをもって奴隷(ドゥーロス)であると名乗り従う者とされたと言っています。

召されキリストの僕(奴隷)となり福音のために働けることを誇りと感じていたパウロは過酷な奴隷でしょうか?自由ではないでしょうか?

罪は人間の欲望に働きかけあらゆる心の汚れに染まるよう誘惑します。

そこには一時の喜び、解放、刺激、快楽が伴います。麻薬のようなものです。

たとえば、薬があります。薬には様々な効能があります。私は血圧が高いので血圧の薬を毎日のんでいます。飲んでも何の変哲もなく、喜びも気分高揚もありません。しかし、飲めば血圧が下がり命が長らえています。また、他の薬には刺激、喜び、高揚感、快楽、ストレス解消、現実から逃避させてくれるものがあります。麻薬と呼ばれるものです。

血圧の薬は毎日飲み忘れない事が大切です。飲めば命を守ってくれます。麻薬は忘れなくても体が求めずにはいられなくなり依存症となり幻覚を引き起こしやめたいと思うけれどその自由はありません。止められないのです。

そして死をもたらします。罪は麻薬のように逃れたいと思っても逃れられない力で人を支配します。

主イエスに継続した信仰をささげ御ことばは忘れず摂取すれば罪に対する免疫を与え、心に信仰と忍耐と平安と希望を与え永遠の神の命が与えられます。

◆キリスト十字架に休み場あり

私たちは肉の弱さは心の弱さがあります。「弱い鳥」と書いて「ひわ」と読みます。黄緑色と黄色の中間色をひわ色と言うそうです。日本は色や音に対し微妙な違いを表現してきました。

何故、鶸と呼ぶのか、色々な節があるみたいですが、群れなければ生きられない。鶸は体に赤い模様があります。鶸について伝説があります。鶸は鳥の中でも茨のとげのある木にとまり羽を休める少し変わった鳥です。ある時、疲れて茨の枝に体を休めるために茨の枝に止まりました。

そして、茨のとげをくちばしで挟み引っぱったら血が飛びちり自分の体にその血がかかりそれ以来赤い斑点ができるようになったと言われています。鶸が抜いた茨のとげは十字架にかかるイエス様の茨の冠だったというのです。西洋画には幼子イエス、バプテスマのヨハネ、イエスの母マリヤの絵に鶸の絵も一諸に絵がかれることが多く、イエス様の受難を表す鳥となったそうです。

弱い鳥、しかし他の鳥が嫌う茨の枝に身を休め、キリストの十字架、イエス様の茨に身を休める場を見出しキリストの血を浴びた衣を身にまとい神の恵みに生かされる弱き鳥。

心の弱さを持つ人間。支えられなければ生きられない者たち。太くて止まりやすくて楽に止まれる木は他の大きな鳥も止まり、小さな鳥は狙われ休み場を得られないでしょう。しかし、茨が身を守り安住の場所を与えてくれるのです。

キリストの十字架に罪の攻撃から身を潜め、人生の苦難もキリストの苦しみに我が身を重ねるとき様々な人生の歩みに勝利なき我が身もキリストの死の勝利に平安に身を休めることができます。

キリストの平安と信仰に身を休めたら、その体をもってお仕えしましょう。

19節そのをささげ、のとなりてにれ。

so now offer them in slavery to righteousness leading to holiness

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