満ちあふれる恵み

恵みの賜物は満ちあふれています。

それはイエス・キリストを信じた私たちに満ちあふれているのです。

◆ひとりの人

恵みの賜物を受ける前の状態の私たちは神様との関係は破綻していました。

律法である神の言葉は、私たち人類を罪人として責め続け敵視する状態、すなわち平和のない関係であったと5章の最初に話しました。

しかし、この状態にある時も神様の愛は人類に向けられていました。贖いという罪からの救い、神様との関係を破綻させた罪を取りのぞき、敵対する関係から逃れの道を用意してくださったのも神様です。

この聖書の内容には「ひとりの人」いう言葉が何度かでてきます。しかし、ひとりの人が誰を指しているのか読み解くと2人の人について語っています。最初に書かれているひとりの人それはアダムです。神が創られた最初の人です。もうひとりの人、それはイエス・キリストです。

◆罪のもたらす支配は死

この2人を対比させながら神の失われた恵みと回復された恵みについてパウロが語っていますから見てみましょう。

(12節) そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がった…

アダムは神様から与えられていた最大限の自由を使い、踏み外してはならない一つの罪を犯しました。食べたら死ぬと言われていたものでした。この罪により人類に死が入ったと語っています。

(14節) ところが死は、アダムからモーセまでの間も、アダムの違反と同じようには罪を犯さなかった人々をさえ支配しました。

私たちは自分の身に覚えのない罪により不利益を被っている。そう思いませんか?

しかしアダムの罪を責めることのできる人は罪を犯した事の無い人だけです。

死が罪により入ることから自由になりたいなら自分の中から罪を振り払い死から逃れたらいいのです。私たちはこの死の支配、罪の影響から逃れうる人はいません。   これは生まれてから環境により人の影響を受けて罪を犯すのとは違います。もとから持つ罪の性質(Original sin)原罪、宿罪により心が誘引されて罪を犯す。その事から逃れられず、死の支配から逃れられるものはいないため人間はTotal depravity(全的堕落)していると神学用語では人間を定義しています。

この罪の性質と死の支配はひとりの人から全人類にもたらされました。この事から解放する方法もまたひとりに人によってもたらされたと聖書は語ります。

人は内側から変えられ洗い流される為には御ことばにより洗い流され清められなければなりません。コロナより感染力の高い罪は御ことばと聖霊により駆逐されるまで戦いは続きます。

◆義の賜物によるいのちの支配

さてもうひとりの人、イエス・キリストについてみてみましょう。

(15 節)神の恵みとひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、多くの人々に満ちあふれるのです。

恵みによる賜物とはどういうものでしょうか。

(18節) こういうわけで、ちょうど一つの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、一つの義の行為によってすべての人が義と認められて、いのちを与えられるのです。

アダムの違反行為により罪とされたその子孫は、こんどはひとりの人の義の行為により、義と認められると。すなわち、ひとりの人による一つ行為=罪、それによりもたらされたものが死の支配、一つの行為=義、その逆がいのちの支配であると言っているのです。

(19節) すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。

私たちのイエス様の成し遂げてくださった行為により恵みによる賜物であるいのちに満ちあふれるものと変えてくださることに感謝し、御ことばと聖霊により歩みましょう。

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